第三部 権力のはらわた
第八章 塗り替えられたレーニンの肖像 - 一九九一年九月、九三年二月 -
<I>封印されてきた虐殺指令(p.366−p.382)

1991年9月、保守派によるクーデターが失敗した直後のモスクワは、KGBの前身の創設者であったジェルジンスキー像がないジェルジンスキー広場、万国の労働者よ、許してくれと落書きされたマルクス像など、旧体制の象徴の大半が損壊されておりました。しかし、レーニン像だけは全く破壊や落書きがされず、綺麗に残されていました。

レーニンこそはソ連の政治シンボルであり、それを守りたいという勢力がいたということを示します。

それだけレーニンはソ連の建国の祖として守りたいということだったのでしょうが、実は、レーニンには1922年にモロトフ党中央委員兼書記宛にしたため、極秘扱いとされてきた秘密書簡があったのです。この内容がペレストロイカによって1990年4月に公開されたのでした。

著書では秘密書簡全文の日本語訳が公開されていましたが、私が気になった内容を抜粋します。

シューヤで起こった事件は、すでに政治局の審議に付されてはいますが、事件が全国的な闘争計画に沿ったものである以上、断固たる処置をとる必要があると思われます。

(中略)

極右聖職者の主要メンバーで構成する秘密会議で、この計画が練られ、決定されたに違いありません。シューヤの事件はこの全体計画の単なる一片にすぎません。思うに、我々に対し、勝ち目のない徹底抗戦で向かってくるとは、敵の大きな戦略的誤りです。むしろ我々にとって願っても無い好都合の、しかも唯一のチャンスで、九分九厘的を粉砕し、先行き数十年にわたって地盤を確保することができます。まさに今、飢えた地方では人を食い、道路には数千でなければ数百の屍体が転がっているこの時こそ、教会財産をいかなる抵抗にも怯むことなく、力ずくで、容赦なく没収できる(それゆえしなければならない)のです。今こそ、農民のほとんどは我々に味方するか、そうでないとしても、ソビエトの法令に力ずくの抵抗を試みる人握るの極右聖職者と反動小市民を支持できる状況にはないでしょう。

我々はいかなることがあっても、教会財産を断固、早急に没収しなければなりません。それによって数億ルーブル金貨の資金が確保できるのです(修道院や大寺院の莫大な財産を思い出してください)。この資金がなくては経済建設をはじめとするいかなる国家的事業も、また、ジェノアで自己の見解を貫き通すこともありえません。ルーブル金貨数億(もしくは数十億)の資金を手にいれることは是が非でも必要なのです。それが首尾よくできるのは今だけです。状況を見てみると、後からでは成功しません。絶望的な飢餓の時をのぞいては、農民大衆が、たとえ教会財産没収闘争で当方の完全勝利が自明だったとしても、我々に好意的態度を示したり、せめて中立でいてくれるという保証はないのです。

(後略)

 

 

常識的に考えればこんなことを考えている指導者は絶対支持したくないです。

が、1990年4月にソ連共産党中央委員会会報誌にて公開された時、当時の元編集長は、「まさかあの書簡が、我々の反対派に利用されるとは思っていなかった」と思っていたようで、「レーニンの価値は根本的に揺るがず、農民を救うために教会から財産を奪うという判断は正しかったのだ」と力説していたのでした。

著者は、ソ連が崩壊してもなおレーニンを擁護している、共産党機関紙元編集長のような融通の利かない不器用な人々を切り捨てるためにこそ91年8月のクーデター騒動が必要であったのではないか、と取材を通じて感じたようです。

権力者は、飢饉などで人々が大混乱している最中では、通常では到底できない強権的な命令を実行する可能性があること、また、新しい世の中にするために融通の利かない頑迷な人たち(特に中高年)を切捨てうるのだと感じました。以前にも紹介しましたが、シュワルナゼがゴルバチョフにクーデター計画があることを伝えても黙殺したのは、ゴルバチョフは共産党機関紙元編集長のような人々を一掃する必要があると考えたのではないかと推測できます。

日本でも財政危機の上、大地震、原発事故、火山噴火などで大混乱に陥る状況が発生する危険がすくなからずあります。なので、レーニン秘密書簡のような強権発動や頑迷な中高年の切捨てが起きないとも限りません。

 

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