終わりなき終章 ーあとがきに代えてー
(p.831−p.842)

96年4月、著書を締めくくろうとした最後の最後に、ドゥダーエフ大統領がロシア軍のミサイルの直撃を受けて落命したという知らせが入り、著者は大きな衝撃をうけました。

チェチェンでの戦闘は96年1月に、ドゥダーエフ大統領側がヘリコプター出撃基地を叩くべく出撃したものの、作戦に失敗し、帰還途中にあったダゲスタン共和国内のキズリャルで約2000人の人質をとって病院を占拠したことをきっかけに激化することになりました。

ロシア軍は、人質解放を条件にチェチェン部隊をチェチェン本国へ帰還させることを一旦認めましたが、その後一方的に破棄、「チェチェン部隊が人質を殺害し始めた」という嘘の情報を流して人質ごと無差別攻撃を図りました。

チェチェン部隊は間一髪で難を逃れ、人質を約束通りに解放しましたが、その人質からロシア軍が一方的に攻撃を仕掛けてきたという事実が暴露されてしまったため、エリツィン政権は強硬策を取り、チェチェン住民を無差別に殺戮するという暴挙に出ました。

こういう事態に突入する前に、94年11月に、ドゥダーエフ大統領は自身がチェチェン共和国の大統領になったという事実を認める代わりに、ロシア連邦に編入することを認めるという和平提案を持ちかけ、使者よりこの案を受け取った大統領評議会も賛成したのですが、エリツィンは頑なに拒否を貫いたのでした。

一方、96年になると、ロシア政局は、ジリノフスキー率いるロシア自民党はジリノフスキー自身がかねてからの工作のために支離滅裂な発言を繰り返して支持率を落とした一方、ジリノフスキー支持層と、エリツィン大統領に切り捨てられた年金受給者、地方在住者、貧困層たちはジュガーノフ率いるロシア共産党に流れたのでした。

そのジュガーノフ自身も、高齢の年金生活者に対しては古き良きソ連時代の郷愁に訴えた一方、新興ビジネスマンとの会合では市場経済を廃絶したり昔の共産党には戻らないことを宣言するなど、共産主義復活を唱えながらも資本主義も尊重するという矛盾に満ちた政策を主張していましたが、当人はそれを矛盾とは思わない「二重思考」の持ち主でした。

ゴルバチョフ、ジリノフスキー、ジュガーノフ、そしてエリツィン。権力の階梯を登るためにはこの「二重思考」が必要なのかもしれません。

しかしその結末は、1991年のゴーリキー広場で見せたエリツィンの青ざめた表情に端的に表れ、それは将来「自身が民衆の期待を裏切る」ことを自覚し、そのことに怯えたのではないかと感じた次第です。

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