第二部 青ざめた異族
第七章 シュワルナゼかく語りき - 一九九二年一月 -
◆私が必要なら喜んでグルジアに帰る
(p.353−p.363)

シュワルナゼの生まれ故郷であるグルジア共和国は、ガムサフルディア大統領が民主的な選挙で当選したものの、その後は内部分裂を起こし、シグア首相率いる反体制派が勝利を収めましたが、ガムサフルディア大統領はチェチェン共和国に逃亡後、出身のメングレリア地方に戻り決起を呼びかけ、泥沼の内戦が始まろうとしていました。

そこで、92年1月の取材時点ではグルジア国外に居住していたシュワルナゼに、グルジア情勢やエリツィンとの関係についてインタビューを行い、回答を要約すると以下のようになりました。

ガムサフルディア大統領に反対する運動は民主的な運動であったと思う。シグア元首相率いる新しい指導者は住民の強い支持を受けていると考える。ガムサフルディア大統領との内戦の脅威は軽減しないといけない。現在の指導者とも、ガムサフルディア大統領の側近とも連絡が取れるので、もしも私の手伝いが必要とあらば力を貸すのにやぶさかではなう。民族の若いに私が必要ならば喜んで協力する。

ただし、私はグルジア大統領選挙にすぐに出馬するというわけではない。大統領を選ぶのはそもそも国民であり、私のような人間は、国民が決めたことに従わなければいけない。

エリツィンについては個人の能力は高く、リーダーシップがあると考えている。ただし側近スタッフの知識不足などによって改革は大きな困難に直面しており、改革プログラムについても修正を余儀なくされるであろうと思われる。しかし、エリツィンは必要とあらば大胆に妥協するなど、柔軟な姿勢は彼の長所であると評価する。

ところが、シュワルナゼは1987年に共産党中央委員会の席上でエリツィンをこっぴどく非難していたのでした。前回も紹介しましたが、シュワルナゼは時期や立場によって政策や人物の見解をはじめ手のひらを返す人物であることがこのインタビューを通じて改めて浮き彫りとなりました。

そして、このインタビューを行った2ヶ月後の1992年3月には、グルジアに帰国した上、選挙で選ばれることなく国家評議会議長に就任し、最高権力者として君臨したのでした。

その際、ガムサフルディア大統領が逮捕していたグルジアマフィアのドン・ヨセリアーニと結託して権力を握ったのでした。

さらに、日本をはじめ西側諸国は、まがりなりにも選挙で選ばれたガムサフルディア大統領に対してはグルジアを国家として承認しなかった一方、シュワルナゼが最高権力者となった途端、まだ内戦中であったにもかかわらず次々とグルジアを国家承認したのでした。

グルジアは当初、ロシアからの影響圏から独立しようとしていましたが、92年7月、ガムサフルディア大統領との内戦中にグルジア共和国内のアブハジア自治共和国がグルジアからの独立を宣言し、軍事的に苦境を強いられてしまい、シュワルナゼはここに至って従来の路線を放棄、ロシア軍の増援を得て反乱鎮圧のためロシアの影響圏下に入ることを決断します。

 

混乱期にあっては、国際社会は民主的に選ばれた人ではなく、民主的に選ばれなくても実力と能力がある人をリーダーとしてみなすという冷徹な現実があることを思い知らされました。また、そういうリーダーはシュワルナゼのように状況に応じて政策を全面的に撤回してきます。

日本もこういう混乱期に突入することが考えられます。今の政策が突然放棄されるという可能性を考え、今の状況を妄信せずに対応できるよう、国民は各種の自衛策を取ることが求められそうです。

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