第四部 自由という災厄
第十五章 怪物を生んだ権力のラビリンス - 一九九四年四月 -
◆ソ連の国家機関全てがジリノフスキーに出資
(p.751−p.758)
91年5月、ソ連自民党の協議会が開かれ、同党の下部組織としてロシア共和国レベルの組織を作ること、1ヶ月後に迫ったロシア大統領選挙に独自候補を擁立するという内容が討議されました。その時、ジリノフスキーに対して実業家のザビージアがno2として、「多子家庭のための慈善基金」を設立していたテミルバーエフが選挙参謀として接近し、党の中核をになうことになりました。
今回は、ザビージア、テミルバーエフの2人の資金源にまつわる話をご紹介します。
ザビージアは土建会社とコンピューター専門商社を経営する新興実業家で、93年12月時点でジリノフスキーが選挙で圧勝した後、ジリノフスキーと衝突し「自民党の創設資金は私が提供した。これから裁判を起こして返還を求める」と息巻いて離党した人物です。
彼は、90年のソ連自民党設立の際にれっきとしたソ連共産党員でしたが、自民党の名簿に名を連ね、党大会プログラムの印刷費用やジリノフスキーの国内遊説費用を全て負担し、ソ連共産党新聞「ソビエツカヤ・ロシア」を買収したのでした。
その資金源は、ソ連共産党、および共産党が支配していた国家機関から秘密裏に提供され、その提供ルートは全てテミルバーエフが設立した「多子家庭のための慈善基金」からでした。
テミルバーエフ自身は長年闇経済に深く関わっており、度々刑務所に投獄された他、結婚と離婚を繰り返し5人の女性との間で17人の子供をもうけた子沢山の人物でした。
札付きの人物であった彼が設立した「多子家庭のための慈善基金」は、子沢山の家庭を救済するという社会福祉目的のためでしたが、600万ルーブルの大金が振り込まれ、しかもそのほとんどがソ連機械産業省、ソ連石炭産業省といったソ連における産軍複合体の中核組織や、内務省、KGB、法務省といった法務関連組織など約90の国家機関が出資していました。
そしてテミルバーエフが主催した寄付を呼びかけるイベントは89年11月に開催されたにもかかわらず、その全ての国家機関の送金日は89年9月から10月にかけてに集中していました。寄付やボランティア活動は基本、個人の自由意志にて行われるべきものであり、こういう事態が発生するのはあまりにも不自然で、ソ連共産党の命令によって行われたと考えざるを得ませんでした。
このソ連共産党時代の国家機関から振り込まれた資金が、ロシア自民党の政治活動資金源となったのでした。
私が驚いたのは、政治団体などを取り締まる側の立場にある、内務省やKGB、法務省までもがソ連自民党に迂回出資をし、ジリノフスキーの躍進は「国策」で行われたことでした。
ソ連/ロシア以外でも、アメリカではブッシュJr時代に選挙機械による得票不正が、イギリスではスコットランド独立投票で独立賛成派の票が独立反対派の票にカウントされていたり、日本においても大阪都をめぐる投票結果で不正が行われたなど、政治に関しては「国策」で介入することがあるようです。
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