第五部 全ては許される
第十六章 戦車とミサイルの錬金術 - 一九九四年十月〜十一月 -
◆利権をあさる手の力
(p.793−p.800)

反エリツィン派の最高会議のリーダー、ルツコイ元副大統領はグラチョフ国防相の武器密輸に対してスキャンダルの証拠を持っていましたが、実はルツコイ元副大統領もまたマレーシアへの武器輸出に絡む怪しげな取引に関与しており、その商戦でグラチョフ国防相のグループと対立していたのでした。

90年代後半、空軍の近代化を図っていたマレーシア政府は、電子制御性能では米国F16(4500万ドル)、フランスミラージュ2000(7300万ドル)には劣るものの、西側機よりも価格の安いMiG−29(1100万ドル)の購入配備を大量に進める計画を持っていました。

この取引に当たっては、カラオノグラノフという人物の息のかかったデノリス社が担当していました。MiG−29はインフレ下にあったロシアにおいて、西側戦闘機の半分の値段(2200万ドル)で販売しても十分利益が出る武器でしたが、カラオノグラフは武器輸出にかかる利益をより得るために、MiG−29の販売価格を西側戦闘機並みの価格へと不当に釣り上げため、その結果1年半にわたり1機も売れないという事態を招きました。

こういう事態を招いたカラオノグラノフのような人物は通常、解任されるべきですが、彼は元GRU(軍情報総局)での将軍で、GRUは旧ソ連崩壊の際にも無傷を保ち、その結果、発言力や政治的影響力が強まったため排除することができなかったのです。

この武器輸出がうまくいかない事態に反発したのはKGB出身の将軍たちで、彼らは反エリツィン派の新聞「ジェーニ」紙に匿名のタレコミ情報を投稿して対抗していたのでした。

なお、KGBはソ連崩壊を通じて勢力を弱めましたが、KGB自体も一枚岩ではなく、英米を始め国際社会の情報を知る立場であった第一局(対外諜報局)は91年8月クーデター後は対外情報局として組織の温存に成功しました。しかし国内異分子の摘発、粛清に従事していた第五局(憲法体制擁護局)は、91年8月クーデター後に徹底的な解体処分を受け、幹部たちは以前紹介したモスクワ最大の金融グループ「モスト」へと天下りしたのでした。

 

政治的混乱期では、改革派と穏健派、保守派というイデオロギーや政策の対立が目立ち、一般人はそのイデオロギーや政策に目を向けがちですが、実際のところは利権争いをめぐる派閥争いが主体であったように感じました。

そして利権争いや派閥争いにしても、対外国情報を掴んでいた軍情報総局やKGBの第一局は生き残った一方、国内ばかり目を向けていたKGB第五局は徹底的な解体の憂き目にあってしまいました。

つまり、混乱期にあっては「対外国情報」を入手できるルートを持つか持たないかで、最悪は生きるか死ぬかが分かれてしまう可能性があるということをこの事例からうかがい知ることができます。

 

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