第二部 青ざめた異族
第五章 グルジア 血と蜜の流れる土地 - 一九九一年十月 -
◆ガムサフルディアとの最初で最後の会見
(p.254−p.260)

シグア元首相とのインタビューが終わったのち、査証が切れるギリギリのタイミングで最後のチャンスに賭けるべく、ガムサフルディア大統領とのインタビューを申し込んだところ、運良く成功しました。

経済危機の深刻化に関する原因と対策や、経済政策の批判、鎖国的な政策を取っている理由、反政府勢力のほとんどがかつての仲間たちであったことなどについて質問しましたが、この回答は全て、シグア元首相とのインタビューの時とは全く逆でした。

シグア元首相とのインタビューでは、「パンの価格0.4ルーブル/kgに対して畜産飼料は1ルーブル/kgとなったため農民が家畜にパンをたべさせる様になり物不足が深刻化した」といった具合に、具体的な数値で明快にわかるように事例を説明していました。

しかし、ガムサフルディア大統領の場合、例えば経済危機の深刻化に関する原因と対策に対する回答では、「元共産主義者たちが仕組んだクーデターで、彼らはかつてあらゆる特権を持っていた。彼らは、モスクワの帝国主義勢力と手を結び、あらゆる方法で民主的に選ばれた現政権を倒そうと試みている。知識人も特権を失うことを恐れて誹謗中傷するのだ」といった具合に全ての回答内容が観念的、抽象的で、自身と少しでも意見の異なる人は「敵」であるという表現に満ち溢れていました。

 

その後、91年12月22日に再び反政府勢力が蜂起した中、12月26日にグルジアでM7の巨大地震が発生し、多数の死者が発生しました。

政府はこの地震に対する復興政策が満足に取れなかったことためか、民心や戦闘の展開は反政府勢力側が優位となり92年1月2日に、反政府勢力側が勝利しました。ガムサフルディア大統領は隣国へ逃亡、93年に奪還を企てるベく武装蜂起を起こしましたがあえなく失敗、自殺しました。

そして、ソ連外相として功績を挙げたグルジア出身のシュワルナゼ氏を反政府勢力側はグルジアへと招聘し、シュワルナゼ氏は92年3月に国家評議会議長に就任、96年には大統領に就任しました。

ここでの教訓は、国のトップがまともでないと、大震災のような非常災害が発生しても対応が拙劣で国民は苦しい生活を強いられることと、人の意見や質問に対して、観念的、抽象的で、自身と少しでも意見の異なる人は「敵」であるという態度の回答をしていると、ガムサフルディアのように最終的に没落する結果になってしまいます。

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