第二部 青ざめた異族
第六章 ロシアの他者なるチェチェン - 一九九一年十一月 -
◆熊は狼を侮った
(p.271−p.284)

チェチェンのリーダーであるドゥダーエフ大統領は、グルジアのガムサフルディア大統領や、ロシア共和国内の民主派政治家のように反体制派知識人ではなく、元々ソ連軍人としてアフガニスタンで空軍パイロットとして従軍し、チェチェン人として少将まで昇進した初めての人物でした。

ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカやグラスノスチ政策によって、1989年に東欧民主革命が勃発すると、チェチェンでも「ヴァイナフ民主党」をはじめ「緑の党」や「ムスリムの道」党など各種政党が結成され、これらの政党が集まる「チェチェン民族会議」が設立されました。結成された政党は反共産党、反モスクワ、民族独立という点では共通していましたが、それ以外の政策はバラバラでした。

このままでは空中分解するため、独立を達成するには強いカリスマ性を持った指導者が必要であったため、その白羽の矢が、ドゥダーエフに立てられました。

チェチェン民族会議が、大統領と議会選挙を実施しようとすると、ロシア共和国はあからさまに圧力をかけ、エリツィン大統領はこの選挙は無効であると宣言し、チェチェン自治共和国に対して経済封鎖を行い、チェチェン民族会議の解散を命じました。

変わってロシア共和国はチェチェン自治共和国に臨時最高委員会を設立し、親ロシア派の人間を就任させた上、非常事態宣言を発令し、内務省特殊部隊であるスペツナズを突如派遣してきました。

チェチェン内にはソ連軍の基地が多数あり、ソ連軍と住民との間では良好な関係が保たれていたのですが、この特殊部隊の派遣で完全にチェチェン住民の態度が硬化、自分よりも強いものに敢然と立ち向かう狼のような気質があるチェチェン住民はたちまちドゥダーエフ支持へと傾き、ロシアの取った政策は完全に裏目に出てしまいました。

そしてこの機を逃さず、ドゥダーエフは数万人の群衆を集めて大統領就任宣言を行い、政権基盤確立に成功したのでした。

チャンスが現れたらドゥダーエフのように即座に行動することと、ロシアの対応失敗の反面教師として、交渉事は相手の気質をよく読んで対応するのが教訓と言えました。

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