第四部 自由という災厄
第十五章 怪物を生んだ権力のラビリンス - 一九九四年四月 -
◆共産党が生んだ怪物をエリツィンが育てた
(p.739−p.743)

91年8月クーデター未遂事件のあと、エリツィンは事件の真相究明委員会を組織し、調査を開始しましたが、その途中で調査活動が上層部の命令で打ち切られ、うやむやにされ、解散させられてしまいました。

著者はその時の調査結果資料の断片を入手し、つなぎ合わせるとジリノフスキーの像が浮かび上がってきたのでした。その過程についてご紹介していきます。

91年4月初めは、ソ連共産党の権力は風前の灯火で、権威は地に落ち、ゴルバチョフ政権への不満はピークに達しており、増大する反政府、反共産党勢力は「民主ロシア」に結集していました。その前年90年には共産党一党独裁を正当化する条項が削除され、多党制への時代へ突入することになりました。

そこで、ソ連共産党中央委員会の人文科学部政治分析・予測課は、「ロシア共和国における大統領選挙をめぐるソ連共産党の目的と戦術」を作成し、その戦術案が3つあり、状況に応じて使い分けるようにという機密文書が出てきました。

1、エリツィン大統領選出を阻止すること。さらに、共産党候補者が選出されるようにすること
→党の利益として最も望ましいが、短期間には克服し難い困難をともなう。ソ連共産党の歴史的な罪がペレストロイカで暴露され、国民の意識に浸透してしまったこと、共産党には国家崩壊を阻止する能力はもはやないこと、党の候補者を直接エリツィンにぶつけることは、逆にエリツィン陣営に有利に作用するためである。

2、大統領に自らの候補を当選させることは必ずしも目標とはせず、エリツィン大統領選出阻止にのみ目標を絞る。
→党の人間を、共産党とは無関係であることを装わせて立候補させる、いわゆる「ダミー政党」を設立する戦術であり、案1より現実的である。その候補者はルイシコフ元首相をはじめ多数存在したが、その中にジリノフスキーも存在していた。

3、エリツィン大統領選出阻止が不可能であることを認め、最大限に大統領としてのエリツィンの立場を弱体化させ、共産党の立場を強化するために選挙運動を利用すること
→共産党サイドとエリツィン陣営の双方に利益をもたらす妥協を条件にエリツィン陣営と組んで、エリツィンを承認するという裏取引で、3つの案の中で最も現実的な策であると結論付けていた。

 

90年には末期症状を呈していたソ連共産党でしたが、それでも国民から信用を失っていることと、自身の末端組織の士気が低迷して無気力状態に陥っていることなど、冷静な視点で自己分析を正確におこなっており、しかも、自分の政権が崩壊することを前提にし、政敵が権力を握ってしまったという最悪パターンを含め複数のパターン想定し、自らの利益を最大限に確保するにはどうすべきかを、具体的な行動策を練っていたことには大変驚かされました。

この、最悪の事態も含めて複数のケースを想定し、具体的な行動策を練るというやり方については今後の非常災害に対しての避難訓練などで活用していきたいと考えています。

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