第四部 自由という災厄
第十四章 偉大なる犯罪革命 - 一九九四年三月〜四月 -
<II>マフィア資本主義のビッグ・バン
(p.719−p.726)

93年5月、ホンダ自動車の新しい販売店がモスクワの目抜き通りに開設されましたが、そのオープン前日に、何者かによって手榴弾が投げ込まれ、ショールームのガラスは粉々になってしまいました。現場に居合わせた日本人マネージャーは「犯人の動機や目的がわからない」と途方に暮れていました。

「日本政府も日本企業も、何をぐずぐずしているんだ。ロシアは世界で最も魅力的な大市場だ。日本企業も日本政府もどんどん進出して投資し、製品を売ればいい。北方領土問題は後なましにしてまずは経済交流を拡大し、深めようではないか。そうしないとアメリカ、ヨーロッパはおろか、韓国人たちにも市場を奪われてしまうぞ」と当時のロシアの政治家は、日本人に対して主張していましたが、実際のところは進出してきた外資やその役員に対して、多額の身代金を要求してくることだらけだったようです。

例えば、モスクワに出張したエールフランスの役員は、一流ホテルの部屋で所持金全てを盗まれたり、ロシア政府に招待されたNATOトップクラスの将軍は都心の街頭でギャングに襲われ、有り金、パスポートを全て取られた上に上半身を裸にされるという屈辱を味わう羽目になったりしたようです。

外国人でさえ上記のようにマフィアやギャングに襲われるということは、いわんや地元のロシア人ビジネスマンはもっとひどい目に遭っており、銀行頭取、商品取引所所長、合弁企業社長らが次々とマフィアによって殺される事態が相次ぎました。

悪質な事件を取り締まるロシア内務省も手をこまねいているわけではなく、93年時点では幹部を24万9千人へ、職員総数は100万人へと大幅に増員し、10万台のパトカーを用意してパトロールを行うことにしました。

しかし、組織犯罪に対しては全くの無力で、明らかにマフィアと思われる「ナンバープレートのない車」を取り締まろうとしたら逆に警官らに手榴弾を投げつけられ、車ごと吹き飛ばされてしまうことが相次ぎ、警察への緊急通報もほとんど対応しないなど、組織犯罪に対しては見てみぬふりをせざるを得ない事態が続いていました。

さらに輪をかけていたのが当時はカネさえ積めば犯罪を犯しても簡単に保釈されてしまうという状態で、93年時点では126万3千人が警察によって逮捕されましたがそのうち6割が保釈され、自由の身になってしまっていたのです。

不思議なことに、こんな治安が極端に悪く行政もいい加減な国ならば、通常は海外からの投資額は減るはずですが、逆に年々増えているのです。

つまり、当時、ロシアへの投資は「いかがわしいカネのマネーロンダリング」として使われていたことが推測されます。

 

国が崩壊すると秩序も損なわれ、国全体がマネーロンダリングの場として使われ、まともにビジネスをしようとする国内外の人々が次々と襲われる一方、地獄の沙汰もカネ次第とばかりに、仮に犯罪を犯してもカネの力で即座にシャバへと復帰できる体制がまかり通ってしまうということが浮き彫りとなりました。

 

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