第四部 自由という災厄
第十四章 偉大なる犯罪革命 - 一九九四年三月〜四月 -
<I>「首領」が撃たれた夜
(p.703−p.718)

モスクワにおける表の公権力と闇社会の権力とをつなぐ重要なフィクサーで、表の顔はレフ・ヤシン記念スポーツマン保護基金の総裁、「スポーツマン党」党首であったオタリ・クワンタリシビリは、94年4月5日、何者かによって射殺されました。

オタリはグルジア出身で、若いころはアマチュアレスリングの選手で引退後はコーチとなり、内務省高官とコネを得ることに成功しました。そして「ヴォル・ヴ・ザコーニュ」の地位に就いていた兄のアミランと共同で内務省高官や警官と結託し、モスクワ中心部および、ロシアのスポーツ界やショウビジネスの利権の獲得に成功していました。

今回は、オタリが暗殺された3つの説について考察します。

1)敵対していたチェチェンマフィアによって暗殺された
モスクワにある、チェチェンマフィアのゴッドファーザー「スルタン」が支配している商業銀行”スタリーチヌイ銀行”をオタリは乗っ取りを図ろうとし、その行為がチェチェン人マフィアの逆鱗に触れ、93年8月に見せしめのために兄のアミランが暗殺された。オタリはその報復としてチェチェンマフィア30人を射殺したが、それに対してチェチェン人の反撃で暗殺された、という説で、最も可能性が高い。
なお、チェチェン人マフィアにとっては「盗み」は最大の恥となる行為であるため、ロシア人マフィアとは歴史的、文化的にも極度に対立する存在である。

2)「ヴォル・ヴ・ザコーニュ」の地位を認めない、若いマフィアたちによって暗殺された
オタリは自分のオフィスで20歳そこそこの若者に絡まれ、反撃で殴り倒したが、その時「今なら生意気な若者を力づくで抑えることもできるが、あと2年経ったら俺の力でももう無理だろう」と弱音を吐くくらい若手の台頭に怯えていた。ただし、犯罪現場の様子からこれは最も可能性が低い。

3)KGBによって消された
オタリはルツコイ前副大統領、ルシコフモスクワ市長などと交友関係を大っぴらに語っていたため、権力者から野放しにすると危険であると思われた。そこでKGB出身の熟練スナイパーにより狙撃、暗殺された。
オタリは、4月5日の18時15分に、サウナ風呂から出てきたところを70m先の隣のビル(75°の角度)から狙撃された。現場検証から、屋根裏部屋から照準器付きの西ドイツ製ライフル銃(指紋はなく、未登録のライフル)で3発狙撃され、頭、首、胸に命中しほぼ即死の状態であり、犯人の身元に関する証拠は一切残っていなかったため、明らかにプロの手口と考えられる。

 

混乱期は、闇社会はたしかに巨大な利益が得られますが、それもつかの間で、闇社会ですら秩序が崩壊しているために次々と敵対する陣営や勢力が台頭し、彼らとの勢力争いの渦に巻き込まれてしまうため決して安泰ではないということを見せつけられる出来事の1つと感じました。

日本にも遠からずやってくるであろう混乱期でも、闇社会に入って生き延びようと図ろうとすると、延々と勢力争いに巻き込まれて消耗し最終的には死滅すると感じた次第です。

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