第四部 自由という災厄
第十三章 「文明の衝突」の虚実 - 一九九四年二月〜四月 -
<II>咆哮する欧州極右の群像
◆ポーランドージリノフスキーと組んだ男
(p.637−p.651)

ジリノフスキーは94年3月にポーランドに訪問した時、ポーランドの空港で歓迎派と反対派が互いに現れ、二勢力間で乱闘騒ぎが発生しました。

このジリノフスキーをポーランドに招待したのは「ポーランド民族戦線」の党首ブリチコフスキーで、ポーランド国内外でも無名の政治家です。しかし、彼は極めて身なりが良く青年実業家風の風貌で、旧ソ連末期に石油精製に関する合弁企業を設立、順調に規模を拡大していたのでした。

その彼に、著者はインタビューを行いました。その概要を紹介します。

・ジリノフスキーがポーランド訪問前に行った「ポーランド再分割」宣言は、あれは実は、ポーランドがNATOへ加入したらロシアは防衛ラインをポーランドのビスワ川に設定する。NATOもビスワ川をロシアの侵略を食い止めるために防衛ラインを設定する。両者とも侵攻を抑止するために限定核攻撃を行うはずである。その結果、第三次世界大戦になればポーランド国民の利害は誰も省みず、戦場になってしまうという意味であり、私は全くその通りだと思う。

・ロシアではなく、ドイツや西側諸国と組むのは政治的経済的にも厳しい。ポーランドの工業製品は西側諸国と太刀打ちできない上、安い農産物を我々が輸出したら、ただでさえ余剰農産物に悩んでいる西側諸国と深刻な摩擦を抱えるだろう。その点、ロシアや旧ソ連諸国となら経済発展レベルもほぼ同一な上、互いに補える。何より同一のスラブ民族である。

ところが、ポーランドはたしかにスラブ民族ではあるものの、大多数が信仰している宗教は東方正教会ではなく、ローマカトリックであり西欧により近いのです。19世紀のロシアで汎スラブ主義が起こり、会議が開催された時も、ローマカトリック圏であったポーランドは最初から除外されていたのでした。

ウルトラナショナリストの国際的な連帯という不思議な現象ですが、どうも、ブリチコフスキーは、自分のビジネスを進めるための目的で「汎スラブ主義」に賛同し、ジリノフスキーが将来大人物になった時に食い込もうとするためにつながりを持とうとしたのではないかという感触を受けました。

そのため、ハンチントンの説のように八大文明圏だといって単純に地図で色分けを進めて解釈するのはポーランドや旧ユーゴスラビアのような地域の場合は、一歩間違えると戦争を正当化する理論となり大変危険だと感じた次第です。

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