第四部 自由という災厄
第十三章 「文明の衝突」の虚実 - 一九九四年二月〜四月 -
<I>ヒトラーとジリノフスキー
◆誰も愛さず、誰にも愛されなかった
(p.608−p.619)

ジリノフスキーは、「南への最後の突進」という自身の政策を紹介する書籍を出版していました。内容は政治的構想と、彼の個人的な生い立ちに関するもので、この構成はヒトラー「わが闘争」と同様でした。ヒトラーは生い立ちは辺境の地で生まれ、愛情にも富にも恵まれず、他者への憎しみを抱えて独裁者に成り上がりました。今回は「南への最後の突進」の書籍からヒトラーとの共通点について分析します。

・ジリノフスキーの生い立ちは、カザフスタンの首都アルマアタで1946年に生まれ、両親は1945年に結婚したばかり、父ヴォリフは法律顧問として働いていたものの、生まれた直後に自動車事故で急逝した。

・ジリノフスキーは前夫との子供4人と母親とで極貧の生活を余儀なくされ、幼少年時代、青年時代と友人が一人もいなかった。いつもよそ者扱いされた屈辱、誰からも愛情を注がれなかった孤独、疎外感など諸々が社会問題を考える上で重要な刺激剤となった。青年時代のヒトラーも孤独な生活を余儀なくされていた点で共通している。

・ユダヤ人は伝統的に法律関係に従事していた上、父親の名前は「ヴォリフ」と明らかに非ロシア系の名前であった。つまりジリノフスキーはユダヤ系である。ヒトラーも生まれた時には故人であった祖父がユダヤ系であるという説がある。ヒトラーも、ジリノフスキーも自分の血のルーツであったユダヤ系の血を引く親族と人間的な触れ合いをしていなかったために、ことさらユダヤ系を排斥する政策を唱えたのではないか。

・「南への最後の突進」の政治的構想は、主要勢力が世界を分割支配すればよいというもので、アメリカはアメリカ大陸全土、西ヨーロッパはアフリカ大陸を、日本と中国は東南アジアとオーストラリアを、ロシアは南のアフガニスタン、イラン、トルコを支配し、インド洋、地中海へと進出するという内容である。

・オスマントルコの勢力が勃興し、1453年にビザンチン帝国はコンスタンチノープルを占領された時は西欧文明圏、東方正教会圏は危機にさらされた。再びイスラム教圏が勢力伸張し、広大なイスラムブロックが確立されると、西欧文明圏と東方正教会圏は直接脅威にさらされる。そうなる前にロシアが汎イスラム主義と汎トルコ主義を叩きつぶすことを言明しており、南方の共通語はロシア語がふさわしいという言及は、ヒトラーの東方への勢力伸張政策と似ている。

 

現在、日本も見えない貧困化が進んでおり、特に若年層の相対的な貧困化が激しく発生しはじめています。孤独で貧困な環境では、歪んだ性格となって育ってしまいます。

ジリノフスキーが発表した南進政策は、わずか数年前にアフガニスタンへの侵攻作戦で大失敗して経済が疲弊したことを全く反省していないのですが、これも、孤独で貧困な環境で育った故に、失敗した時の対処方法を人に相談したり、過去の歴史から学ぶという訓練ができていなかったためではないかと思いました。

孤独にならない環境をつくることが大事であると思った次第です。

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