第四部 自由という災厄
第十二章 ジリノフスキー現象を読み解く - 一九九三年十二月 -
<I>ファシズムという名の「希望」
◆ヤブリンスキー「現政権が国民に否定されたのだ」
(p.533−p.543)

がなりたてるしか能のない、極右泡沫候補と侮られていたジリノフスキー氏は、ロシア初の民主的な自由選挙で劇的な勝利を収めました。

選挙終了後のモスクワで、「民主派のプリンス」と謳われ、選挙中で有力勢力の一つとして注目を集めたヤブリンスキー氏にインタビューを行い、選挙結果や10月モスクワ騒乱などについて総括してもらいました。

・ジリノフスキー氏が勝利したと言われるが、彼に投票したのは有権者の10%程度。極端なポジションの人物に投票するのは世界的な現象である。共産党支持者も8%程度。20%は投票に行かなかった。残りの60%は「ロシアの選択」を筆頭としている改革派を支持しているが、今回の選挙では多くの有権者が投票所に行かなかった。この理由として民主政権は憲法草案を投票前に十分に国民に説明しなかったこと、そして10月3日、4日に起きた流血事件の直後に選挙戦に突入したこともあって民主派の指導者たちに国民が不信感を抱いたためではないのか。

・ジリノフスキーをはじめ全ての政党が「改革」の必要性を説いており「改革」そのものには国民は「NO」とは言っていない。ガイダルの改革政策に対して「NO」と言っている。

・民主派が分裂したのが敗因という説が流布されているが、もし民主勢力が統一して選挙に出た場合は15%程度しか得票できなかった。複数のグループから 出ることで民主勢力全体で大きな支持を集めたと考える。民主運動自体は分裂していない。

・10月のモスクワ騒乱事件については、戦車の伴奏で行われる改革は真の改革ではなく、改革を正しく指導できなかった失敗の結果と同時に無責任の結果である。これを招いたのはエリツィンにも責任がある。

・ガイダルのショック療法政策では、ハイパーインフレを招いた上超独占企業体を解放してしまっており、本来必要な、個人経営の企業の育成、反独占的な政策など真に自由競争が可能な社会的条件を作り、徹底的な産業政策を練り、インフレをコントロールできていない。

 

分析については確かによくできており、議会制民主主義、市場経済の重要性や優位性など理論的な話し方をしていたものの、ロシア国民に対して「どうして痛みのある改革が必要なのか」という、素朴で根本的な問いかけに対して説得力のある力強い言葉で、簡潔に話していなかったように感じました。

 

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