第三部 権力のはらわた
第十章 ゴルバチョフの嘘? - 一九九二年二月、八月 -
<II>「民主革命」なる幻影
◆「勝利」の果てに自壊を始めたリベラル・デモクラシー
(p.471−p.481)

91年8月のクーデターではエリツィン率いる民主派が勝利し、世界中にリベラル・デモクラシーの勝利を印象付けることができました。その出来事は、89年にフランシス・フクヤマによって普遍的理念としてのリベラル・デモクラシーの最終的勝利と、理念の闘争としての「歴史の終わり」を記した論文『歴史の終焉?』を先取りしたかの出来事でした。

しかし、民主派が勝利したロシアでは経済の崩壊、民族主義の台頭をまねき、勝利したはずのアメリカでも経済が凋落して貿易赤字と財政赤字を解消するには増税をする必要に迫られていました。そして、旧ソ連諸国の混迷が続けば西側諸国のリベラル・デモクラシーでは安定と繁栄を平和をもたらすことができないのではないか、という主張が台頭することを著者は懸念していました。

また、著者は、8月クーデター、それに先立って発生した1月のバルト三国に対する軍事鎮圧作戦について謎が多く残っており、その理由について6つの説を考察しています。

1、ゴルバチョフ、非常事態委、エリツィンの3者には何も密約や裏取引がなく、勝手に8人組が企てて実行した。1月のバルト三国への鎮圧についてもゴルバチョフは一切知らず、関与していないという説(公式見解)。

2、ゴルバチョフはクーデターの準備に関与せず、承認はしていないが、情報は得ていた。1月のバルト三国への鎮圧も武力行使がされることを知っていたがいずれも穏健な方法で対処可能であると考えて、結果として大きな過ちを犯した。このため真相を語ることができないという説。

3、非常事態委のメンバーは90年にゴルバチョフによって取り立てられた保守派たちである。彼らはゴルバチョフの意を受けて全土に非常事態宣言をするプランを練り、バルト三国に対する軍事鎮圧はその予行演習であった。しかし、それが大失敗したためゴルバチョフは保守派の切り捨てを図り、新連邦条約の調印を本気で考えるようになり、焦った保守派が棚上げにされた非常事態宣言のプランをゴルバチョフ抜きで実行しようと試み、既成事実をつくろうとしたという説。

4、基本的には3と同じだが、側近たちから非常事態宣言の布告を求められたゴルバチョフは、成功すれば承認するが、失敗したら彼らの責任とし、軟禁されたという狂言を演じた。そして側近たちの形成不利と見るや否や切り捨てたという説。

5、事前にエリツィンとゴルバチョフとの間で共産党を廃絶するという密約が取り交わされていた。ゴルバチョフは非常事態委の計画を黙認していたがゴルバチョフにはしごを外された上、エリツィンが圧倒的な支持を集めたことを受け、エリツィンがゴルバチョフを追い落としにかかったという説。

6、エリツィン陣営はゴルバチョフ側近保守派がクーデター事件を起こすことを察知し、クーデターをわざと起こさせ、その後にカウンターを仕掛けて一気に共産党を始末して権力を手に入れ、成功したという説。

 

1以外の説にほぼ共通しているのは、クーデターは意図的に起こさせたことという印象を受けます。また、ゴルバチョフ自身もワレンニコフ氏の反論内容から察するにどうも保守派と二股をかけていたのではないかという感じをうけました。

私自身も、ゴルバチョフは状況に応じて対応できるように選択肢の幅を広げておいたのではないかと考えています。

混乱期にはこのように、政治家は自身の生き残りのために状況に応じて突如態度を翻してしまうものだと感じました。そのため、政治には過度に期待せず、今から自身でできる範囲の(勉強や活動など)自助努力が必要だと感じた次第です。

Follow me!