第三部 権力のはらわた
第十章 ゴルバチョフの嘘? - 一九九二年二月、八月 -
<II>「民主革命」なる幻影
(p.457−p.465)

前回紹介したワレンニコフ氏の反論は、92年5月ごろに「イズベスチヤ」東京特派員によってロシア本国でも紹介され、かなりの反響を呼びました。

さらに、クーデター首謀者で、拘置所に収監されているヤナーエフ氏の獄中インタビューが10分間放映されました。クーデター当時はひどく怯えて声明を発表していましたが、獄中インタビュー時点では血色よく、堂々としており別人のようになっていました。

「市場経済への移行の前に、秩序の回復が必要であった。もし、非常事態の導入に成功していたら、国の運命を変え、現在の混乱を回避できた。それを実現できなかったことについて、ロシア国民に対し、罪の意識を感じている。」
獄中インタビューの放映とほぼ同時期に、クーデター当時「別荘の周囲は軍に包囲され、テレビも受信できず、電話も繋がらず、情報通信手段はすべて途絶していた」というゴルバチョフの発言とは異なる証言が出てきました。これについて気になった内容をご紹介します。

・ゴルバチョフ補佐官は、クーデター事件直後にゴルバチョフと一緒にヤナーエフの記者会見をテレビで見たと証言

・サンクト・ペテルブルグにある新聞「スメナ」紙の記者が特別回線の電話でゴルバチョフと直接連絡を取れたと発表。

・ロシアおよびソ連検事局が、別荘での現場検証の結果、通信手段のカットは技術的に不可能であると発表。

・「軟禁された」とあるが、海辺を散歩するゴルバチョフ一家の姿が目撃されている。

・国境部隊の将兵らは「包囲の命令など受けていない」と証言している。

・8月21日にルツコイ副大統領が別荘に訪れた時は、兵士の姿は一人もいなかったと証言した。

 

国家反逆罪はロシア警報第六四条に規定され、最高裁は死刑とされているが、非常事態導入そのものは非合法ではなく、最高会議の承認と大統領のサインという手続きを踏まえれば許されることになっています。

そのためもし大統領がクーデターを容認していれば、国家反逆罪として裁くことが容易でなくなってしまいます。

その後の裁判で、クーデター首謀者側が軒並み無罪となったのは上記の内容やワレンニコフ氏の反論から、「ゴルバチョフがクーデターを黙認していた」のではないかと思わざるを得ませんでした。これぞ「あらかじめ裏切られた革命」と感じました。

 

 

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