第三部 権力のはらわた
第十章 ゴルバチョフの嘘? - 一九九二年二月、八月 -
<I>獄中からの告発
(p.448−p.456)

 

ワレンニコフ氏からの反論です。第3章以降で私が注目した点をご紹介します。

「焦った首謀者グループは最も恐るべき手段に訴えようとした。軍隊を民衆に向かわせようとしたのだ。だが、これもまたうまくいかなかった。」
→極めて重要!これは卑劣な言い方だ。誰が軍隊を民衆に向かわせた?軍隊内にはそんな司令官がいないことを最高司令官(ゴルバチョフ)はよく知らなかったのか?

「それらの人々はペレストロイカの行き着く先を自ら理解もしくは受容できないのが次第にわかってきたのである」
→ペレストロイカの行き着く先については決して明らかにされたことはない。

「クーデターにより、ソ連共産党を改革し、近代的民主政党に転換させようとするすべての望みは失われてしまった。私が書記長の職を退き、中央委員会の解散を提案したのはそのためである」
→そのためではない!辞任の意思はずっと前から持っていた。そのきっかけが必要だったのだ!

「クーデターは国の内外で敗北に終わった、だがそれは、国内状況や国際関係において重大な変化があったからに他ならない。そして結局のところそれらの変革すべては私の参加なしには行われなかったのである。」
→クーデターが敗北した理由は、国家非常事態委員会が一連の宣言を行いながら、具体的な計画を何ももっていなかったことである。国家非常事態委員会は2日後に自然崩壊したのだ。

「三月の国民投票で国民は連邦制の維持とその徹底的な確信を支持している。実際、ノヴォ=オガーリョヴォの会議では主権国家連合という方式が打ち出された」
→問題を引き延ばすべきではなかった。それなら3月に連邦条約に署名するべきであった。何もかも後手後手に回ってきた。時すでに遅かったのだ。

「まわりの世界にしても我が国を従来とまったく異なる目で見ている。目の前に現れてきた「歴史的好機」は活用せねばならない」
→どうか助けてくださいと、恥も外聞もかなぐり捨てて「お願いします!」というのだ。しかし、我々の組織的な努力、規律正しく法律を遵守する国民、これこそが、そしてこれのみが、外国資本を誘導し、国の抜本改革をもたらすということも。資本主義国が我が国を援助するのは人道的目的からではない。それが経済的、かつ政治的に得策だからである。

「問題がどれほど複雑であれ、民主主義的な手段をもって解決されなければならない。私にとって民主主義以外に道はないのである」
→今日民主主義に異議を唱えるような人がいるとは思えない。ついでにいうと我々「クーデター首謀者」も民主主義を支持している。一つの全体主義体制を別の全体主義に取り替えるなどということは支持した覚えはない。

 

ワレンニコフの一連の反論からは、クーデター首謀者たちは民主主義を否定するわけではなかったことと、ゴルバチョフはどこかのタイミングで辞任したかったらしく、そのきっかけ作りにためにクーデター派に対して「曖昧な同意」を与えていたのではないかという疑惑が浮かび上がりました。

確かに、ゴルバチョフにとっては自身の政策に起因する「経済失政で引責辞任」という結末よりも、クーデターによって辞任させられたという方が「私は民主主義を守ろうとしたんだがうまくいかなかった悲劇のヒーロー」として外受けもよかったであろうことは想像に難くありません。

他人から援助や支援を受けるには恥も外聞も捨ててお願いすることと、自助努力こそが重要であること、問題を引き延ばさないことはまさに、今の日本人にも共通することであると感じています。

なお、ワレンニコフらはその後裁判にかけられましたがクーデター首謀者たちはロシア議会から恩赦決議を受けて罪には問われず、ワレンニコフはお手盛り人事の裁判で無罪を勝ち取り、95年のロシア下院選挙で当選し、2009年に死去するまで議員を勤め上げました。

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