第三部 権力のはらわた
第十章 ゴルバチョフの嘘? - 一九九二年二月、八月 -
<I>獄中からの告発
(p.438−p.447)

ワレンニコフ元上級大将は、筋金入りのタカ派で91年8月のクーデター事件で首謀者の1人として行動し、逮捕、拘禁され、92年1月にロシア検察庁により国家反逆罪として起訴されることとなりました。

クーデターを実施し、失敗した側の人物について、その後の発言はほとんど知られていませんが、著者が取材のため、当時廃刊寸前に追い込まれていた新聞 社「プラウダ」に訪れた際、ゴルバチョフの著書「世界を震撼させた三日間」の内容に対してワレンニコフ氏が反論として書き込んだものがあったのでした。

当時の「プラウダ」は経営難のため、読者に迎合するためこのような保守派の言論を掲載することはできませんでした。そこでこの内容は日本人である著者に対してのみ公開されることとなりました。

ワレンニコフ氏の反論を2回に分けて、私が着目した点をご紹介します。今回は第一章、第二章です。

・第一章

「ペレストロイカにおける重要な諸変革のプロセスが、社会組織全体と社会のあらゆる階層の利益を根底から揺り動かしていたからである」
→滑稽な表現だ。大国としての誇り、食料、基本的な日用物資、良好な民族同士の関係、自らの人生への確信…国民生活の貧困化は極限に達した。この根本的な変化こそ問題にすべきだ。すべてが忍耐の限界を超えてしまった。国家非常事態委員会はそれらが一つの現象として現れたにすぎない。

「古いシステムの崩壊は不安定と大混乱を生み出した」
→不安定と大混乱が生み出されたのは我が国が最初ではないか。チェコスロバキアや韓国はほぼ混乱がなかった。我々がはっきりした目的や方針もなく突き進んできたことに問題があるのだ。

・第二章

「私はやってきた連中を迎えようとして出ていたが、すでに彼らは許しを請わずに書斎に上がってきた。前代未聞の無礼な振る舞いだ」
→それは違う!ホールに座り静かに待っていたのだ!

「今、新連邦条約が調印されようとしている。唯一の道は合意を探し求めることだ。合意にはあと一歩というところまでさしかかっている。今非常事態宣言を導入しようと言い出すのは自殺志願者だけであり、私はそんな企てとは何の関わりも持ちたくない。ワレンニコフは辞任を要求した。」
→事実は全く異なる。非常事態導入は必要としているごく一部の地域のみで、それも衝突流血は避けねばならないと私は反論した。また、ゴルバチョフにはいかなる圧力も加えられていなかったこと。そして辞任要求は、私が辞任するとゴルバチョフに伝えたことについてであった。

「対話の最後に、私はこういう場合にぴったりの荒っぽいロシアの決まり文句を投げつけた。「地獄にでも行くがいい!」と言ってやったのだ」
→実際には一人一人に握手を交わし、品よく別れた。ゴルバチョフが私に対して丁寧な態度を崩さなかったことを私は残念に思っていない。

「その結果、大統領を脅迫し、非常事態宣言命令をださえ、権限の移譲や辞職を強制しようという試みはすべて失敗に終わった。」
→狡猾そのもの!非常事態宣言命令など話に出なかった。副大統領への権限委譲については「一時的に委譲」が提案として出されたが、それはクリミア滞在延長期間ということであった。

 

ゴルバチョフの自伝の内容に対してクーデターを起こしたワレンニコフが詳細に反論したということに驚きました。

また、ロシアにおいて、マフィアや共産党関係者の間では上下関係を厳格に示すために「罵り言葉(マット)」を多用していたようです。
ゴルバチョフは最高権力者でしたので、部下に命じる時は罵り言葉で怒鳴りつけていたことは想像に難くありません。

ゴルバチョフは著書で、クーデターに与しないことの意思表示として、クーデター首謀者に対して罵ったと記しています。しかし、実際は品のよい対応であったという証言がでていることは、ゴルバチョフは暗にクーデターを容認したという疑いがあるのです。

このあらかじめ裏切られた革命というタイトルはうまいタイトルのつけ方だと思った次第です。

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