第二部 青ざめた異族
第六章 ロシアの他者なるチェチェン - 一九九一年十一月 -
(p.261−p.270)
ソ連崩壊後は、各地の広場にあったレーニン像は撤去、破壊されました。
ロシア共和国内のチェチェン・イングーシ自治共和国の都市、グローズヌイにあったレーニン像も例外ではありませんでしたが、その処分方法は他の地域とは異なりました。
他の地域の場合、単純に像としてバラバラに壊されるだけでしたが、グローズヌイのレーニン像は、川に投げ込まれ、その上から大量のゴミがかけられておりさながら「水死体」のようでした。
通訳のロシア人はこの光景を見て絶句しましたが、チェチェン人は「徹底的に破壊しなくては気がすまなかったんだ。ロシアの帝国主義者やボリシェビキの残酷さに比べればこんなのは可愛いもんだ」と吐き捨てるように言い放ちました。
こういう行動を取った背景には、チェチェン人やイングーシ人の置かれた歴史を知る必要があります。
チェチェン人は74万人、イングーシ人は16万人と少数民族ですが、いずれもイスラム教スンニ派を信仰しており、ロシア帝国の支配に対しては最初から最後まで抵抗し続けるなど反骨精神が旺盛で、凶暴で命知らずな気性を持っていました。
1944年2月23日、スターリンの命令により、突然、大量のトラックとNKVD(内務人民委員部、KGBの前身の政治警察)が現れ、銃を構えた将兵たちがドアをノックし、「今すぐ出発する。身支度を整えろ!」と告げ、今まで住んでいた地域から中央アジアへと強制移住を強いられました。
強制移住先の過酷な環境でも、彼らだけはスターリンに屈することなく生活していました。スターリンが死去後、ようやく故郷への帰還が許されましたがこういうことを強いられれば、思わず納得せざるを得ませんでした。
ただ、チェチェン人はロシア人が嫌いというわけではなく(実際、チェチェンのドダーエフ大統領は妻がロシア人)、ロシアの帝国主義・大国主義が嫌いであることをはっきりと主張していました。ここは日本のネトウヨと全く異なる点であると感じました。
大災害が発生すると、チェチェン人のように場合によっては強制移住を強いられてしまいます。そういうことに備えるためには定期的な訓練と、肉体的精神的な慣れが必要であると感じました。
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