第二部 青ざめた異族
第五章 グルジア 血と蜜の流れる土地 - 一九九一年十月 -
◆ミクロに差異化される「血と土地」
(p.219−p.232)
グルジア国内にて反政府勢力が形成されたのは大きく3段階ありました。
89年に結成された最初は一枚岩の「民族フォーラム」で団結していたかにみえましたが、90年になるとガムサフルディアを支持する「自由グルジア円卓会議」と反対派の「民族会議」の2つに分裂しました。
「自由グルジア円卓会議」は伝統主義君主党、急進統一民族戦線、メラバコスタワ会などから構成されていましたが、91年の秋に、メラバコスタワ会が反ガムサフルディア派となり、分裂しました。
そして、ガムサフルディアが大統領に当選後、内閣を組閣した時に、シグア首相、キトワニ民兵軍将軍が相次いで離反し、民兵軍は分裂、内戦の条件が整ってしまいました。
政府と反政府勢力との内戦激化のあらましは次の通りです。
91年8月に発生したクーデターに対してガムサフルディア大統領が、はっきりした姿勢を示さなかったことに対して市民の怒りや不信感が高まりました。
それに対して9月2日に抗議集会が発生した時に、ガムサフルディア大統領が鎮圧を命じ、解散させたのですが、キトワニ民兵軍が抗議集会側を支持したことにより反政府勢力側は団結しました。
9月21日に再び反政府勢力側の抗議集会があり、夜中に解散して人々が去っていったところで政府側は「政府庁舎が反政府勢力側に占拠された」という意図的な誤報を流し、ガムサフルディア大統領の出身地域であるメングリア地方から大統領支持派の農民や地方民兵を大量動員して、翌22日には反政府勢力側の事務所を占拠しました。
反政府勢力も負けじとキトワニ民兵軍を大量動員し、一触即発の状況となりました。その後、キトワニ民兵軍は政府側民兵との交渉で、事態を平和裏に収めるべく郊外の基地へ撤退したのですが政府側民兵は直ちに郊外の基地へ追撃を仕掛けました。
この顛末を見たトビリシ市民は政府側のやり口に対して大激怒し、市民による大規模集会が開かれると政府側が地方農民や民兵を動員する…という形でエスカレートし、グルジアは、トビリシ市民の反政府派とメングリア地方の政府支持派に完全に二分されてしまいました。
トビリシ市民とメングリア地方の住民は、日本で言えば関東人と関西人みたいな感じで外見の違いはほとんどありません。
しかし、政治のリーダーが8月クーデターの時のような決定的な局面が発生した時には決然とした意思を表明、行動しなかったことと、虚偽の情報が原因で泥沼の内戦を引き込んでしまったように思えました。
災害が発生した時は一人一人が考えて行動し、1つの情報を鵜呑みにせず複数の情報源から検証し、正確な情報を得ることが大事であると読み取れます。
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