第二部 青ざめた異族
第五章 グルジア 血と蜜の流れる土地 - 一九九一年十月 -
(p.200−p.205)

91年3月、ソ連から独立の是非を問う国民投票の結果、98.9%のグルジア国民が独立を支持する結果となり、これを受け、4月10日にグルジア共和国は独立を宣言、そして5月26日に初の大統領選挙が実施され、ガムサフルディア氏が86.5%の高い得票を得て初代大統領に当選、選挙によって自らのリーダーを選ぶことができました。

しかし、そのわずか4ヶ月後にグルジア人同士で内戦が発生してしまい、国を二分する対立となってしまいました。

アメリカなど西側の民主主義国ならば、本来、選挙で選ばれたリーダーは普遍的正義の観点で尊重されるはずでしたが、ニューズウイークをはじめとしたメディアは、グルジアの大統領は独裁的であるという報道が相次いでなされていました。

当時、グルジア共和国には、独自の国軍を持っておらず、20万人のロシア軍が旧ソ連時代の基地にグルジア共和国内に駐屯していたのです。そのため、独裁的な権力を行使することは困難だったので違和感を感じました。

この背景には、グルジアの独立に関して、ワシントンとモスクワの間に暗黙の了解があるのではないかと思われ、ロシアによる諸民族支配という帝国システムの保存を米国は認め、そのかわり、他の地域での米国の国益に関わる対外政策にはモスクワは介入するな、という裏取引があったのではないかと考えられました。

ロシアは裏取引の過程で「グルジアはロシアの勢力圏内である」と主張したに違いないと思われました。

混乱期になると、辺境の地域は自分の運命は自分たちだけで決定できず、「民主主義」に則った決定であったとしても、大国の思惑によって翻弄されてしまうということがありありと示されました。

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