第一部 ロシア零年
第三章 マルクスの国の遺産相続 - 一九九一年十二月〜九二年二月 -
<III><みなしごの冬>のモスクワ
◆それから先は誰も知らない
(p.137−p.155)

オクチャーブリ地区に端を発した地上げスキャンダルは、ソ連全土に広まり、結局のところ、「所有者が不在で、皆が皆、力づくで公共財産を奪っており、だれがその所有者となるのかは、すべて争いの結果によって決まる」という状況に陥ってしまいました。

オクチャーブリ地区の「公共財産管理局」経営陣の一人であるワシリーエフに、この結末についてインタビューしたところ、「エリツィンの経済改革は失敗し、批判の矛先をかわすためにガイダル首相を更迭する。」「その後は、民族問題をめぐって挑発が起きる。モスクワだけでなく、地域ごとに権力が分立して、総合の緊張が高まる。各権力者は、失政の責任を誰かに転化して、自分の地域内の権力の維持を図ろうとする。それから先は、私もわからない。だれにもわからないだろう。」と話していました。

結果はその流れを証明するかのように、92年の年初にCIS(独立国家共同体)が設立されましたが、92年2月下旬の時点で早くもウクライナ共和国のクラクチュフ大統領は独自通貨の発行と独自の共和国軍の創設を発表、各共和国の独立、旧ソ連軍の分割が避けられない情勢となってきました。

また、共産主義を批判している政治家、官僚は全員、かつての特権階層に属しておりそっくりそのまま横滑りして居座っていました。そのため、国民の生活は「民主主義」になっても全く改善されず、そこではけ口として「民族主義」が持ち出されるようになってきました。

ロシア共和国内においても、チェチェン・イングーシ共和国をはじめ、極東7州などで地方権力を握った各地域のトップは、自分の権力の及ぶ範囲内で土地や資源、生産手段などを独占しようと様々な活動を開始してきました。

日本も万一経済破綻を起こすと、上記のようなプロセスを経て沖縄や北海道など地方が分離独立を図る可能性も否定できません。

 

 

 

Follow me!