第一部 ロシア零年
第三章 マルクスの国の遺産相続 - 一九九一年十二月〜九二年二月 -
<II>なし崩しに売られる帝国
(p.105−p.117)

この土地取引汚職疑惑に関して、民主派住民たちは新聞やテレビメディアに働きかけて、取材報道を試みましたが、ロシア共和国上層部の命令でお蔵入りとなり、取材した記者たちは軒並みクビを切られる事態となってしまいました。かろうじて報道してくれたのが、ポポフ市長に対抗する保守派新聞メディア「ソビエツカヤ・ロシア」紙だけで主に「民主派市長スキャンダル」という視点でとりあげられたようでした。

ともあれ、この新聞記事が突破口となって土地取引汚職疑惑が掘り下げられることになりました。

土地所有に関してはソ連の場合、他国と異なり特殊な事情があります。

1917年のロシア革命の時に地主階層が軒並み粛清されたため、革命以前の地権者は生存していません。また、ソ連にあってはマルクス主義の「公理」に従って、国民の私的所有を極端に制限し、国土、資源、インフラ、住宅などが共同所有となっており、管理の実権は共産党が全て握っていたのです。

その共産党が消滅すると、所有者や管理者がいない、土地やインフラなどの膨大な資産が残されてしまいました。

その土地や資産の分配に関するルールや手続きが全く存在していなかったため、やりたい放題の分配がなされてしまいました。

例として、ザフラフスキー氏は改革派として、モスクワ・オクチャーブリ地区にて地方ソビエト選挙で運動を行い、改革派を大量当選させた実績をあげました。そこで彼は地区ソビエト議長に推挙され、就任しました。

しかし、彼は議長になるや否や、立法組織である議会の権限縮小を行い、変わって行政組織である執行委員会の権限を強化し、その執行委員会に自身の息のかかった人物を大量に入れた上で、「地区経済の活性化」と称して「地域の不動産を民間企業の資本と人材を使って再開発する」という政策を熱心に説きました。

そして、外資との合弁会社を設立し、合弁会社のトップにザフラフスキー自身が就任し、土地取引のインサイダー情報を流し、権力を用いて多額の富を得ました。

ソビエト議長が民間企業のトップと兼任することは、ロシア共和国法律やロシア大統領令に基づいて禁止されているにもかかわらず、誰も取り締まる人はおらず、結果としてこのやり方が是認されてしまいました。

 

混乱期になると、国有財産があずかり知らぬところで売却され、しかも法律などでの歯止めがかからないという恐ろしいことが発生していたことがわかり、驚きました。

 

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