第一部 ロシア零年
第三章 マルクスの国の遺産相続 - 一九九一年十二月〜九二年二月 -
<I>初雪。ありふれた日曜日の午後
◆ロシアの<現在>を表象する三つの集会
(p.96−p.100)

ドルを手に入れられる最も手っ取り早い機会は、外国との合弁企業に働くことであり、とりわけ若い女性には合弁企業の秘書は憧れのトップでした。
また、合弁企業に就職するための秘書養成学校は大変人気で、授業料は無料、パソコンOA機器の使用、秘書業務、英会話、エアロビクス、化粧の仕方などを5ヶ月間学び、その後は合弁企業へ斡旋されるという仕組みです。定員30名、英語が話せ、大学卒業、容姿端麗な30歳以下というハードルを設けているにもかかわらず、700〜800人が応募するほどでした。

時流を見据え、なんらかの形で外国との合弁企業で働けた人は、住宅、外国旅行、毛皮のコート、ベンツが手に入れられ裕福な生活をすることができました。

一方、古ぼけたイデオロギーにしがみついた教条主義者たちは、エリツィンやゴルバチョフを罵り、マルクスの経典の内容をひたすら言うだけの演説をしていましたが、集会に参加したひとはわずか200人程度、道行く市民は足をとめることなく通り過ぎていく始末で、上空には彼らをあざ笑うかのように企業広告の入ったアドバルーンが上がっていました。

こういう人たちとは関わり合いを持ちたくないとつくづく感じました。

そして、赤旗を掲げるわけでもなく、特に普通の一般市民たちが集まった集会がありました。実は、彼らは民主派を支持していたのですが、自分たちが住んでいる地域を、ポポフ市長率いるモスクワ市政府が住民に相談せず秘密裏に外資へ売り払い、立ち退きを迫っていることに対する抗議集会でした。(実は、これが大きなスキャンダルの発端となる出来事でした。)

自分の住居のある土地が秘密裏に外資へと売り払われるという事態には大変驚きました。国有財産や土地が勝手に切り売りされる怖さを思い知らされた次第です。

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