第一部 ロシア零年
第三章 マルクスの国の遺産相続 - 一九九一年十二月〜九二年二月 -
<I>初雪。ありふれた日曜日の午後
(p.89−p.95)

冬の日曜日のイズマイロフ広場には野球のグラウンドが何面もとれるほど広大な敷地でしたが、そこで開かれていた市場では大量の人々でごった返していました。
アゼルバイジャン人のバーベキュー、制服や制帽を投げ売りしているソ連軍の現役将校、マトリョーシカ人形などさまざまなものが売られていました。

4歳の子供を持つ専業主婦であるタチアナ・ガブリロワ(26歳)はとりあえず生計の足しにすべく、手製の刺繍や人形などを作って売り始めていました。ただ、慣れていないためか売り上げは0。でも慣れれば売れるはずと意気込んでいました。

ニーナ・ゲルギオナ(40歳)は、本業の幼稚園の保母では月に190ルーブルを稼いでいる一方、この市場では月に2000〜3000ルーブルを稼いでいました。

1年前(1990年)では月300ルーブルで生活ができましたが、1991年後半になると、ハイパーインフレによって300ルーブルは吹けば飛ぶような薄い価値しかありませんでした。

それでも、行動できる若者はまだマシなほうで、年金生活者や障害者はこういう混乱期に真っ先に皺寄せを食う結果となっており、ある老婆は「夫に先立たれ、子供もおらず面倒を見てくれる身寄りもなく、月150ルーブルでは今では何も買えない」と途方に暮れていました。

なお、ルーブルとドルのレートは、

90年12月:1ドル=6ルーブル
91年10月:1ドル=47ルーブル
91年12月:1ドル=90ルーブル
(96年3月:1ドル=4850ルーブル)

と、どんどん対ドルレートが低下していきました。

紙切れ同然となるルーブルとともに生活も果てしなく沈んでいく人と、外貨であるドルを入手できる人とに間で深刻な階層分離が発生していきました。