第一部 ロシア零年
第二章 母なる、されど病める大地 - 一九九一年九月〜十一月 -
◆「寒い国のスパイ」次なる使命
(p.59−p.63)

保守派の牙城であったソ連軍はロシア共和国軍へと改編する際、ソ連軍のダメなところを全て捨てて、軍が二度と国民に銃口を向けないようなシステムに作り変えるべく再出発を試みました。

そして、もう一つの牙城であったのがKGBでした。

KGBは、国内外の諜報を通じてソ連共産党内で確固たる地位を築いていました。八月クーデターに際しては大半はクーデター側には与せず、ゴルバチョフ大統領を保護することに努めていましたが、クリュチコフ議長、グルシコフ第一副議長、プレハーノフ警備局長というKGB上層部がクーデター勢力側に参加していました。

クーデターは失敗し、その結果、KGBの前身となった秘密警察組織の初代長官ジェルジンスキーの銅像が、国民弾圧の象徴ということで破壊・撤去されその様子は全世界に報道され、KGBの威信は地に堕ちました。

著者が取材した時点では、KGB内の共産党委員会、および国民を監視し、反体制勢力を弾圧してきたKGB第5局(憲法体制擁護局)は解散、スペツナズ(特殊部隊)はソ連軍へ移管、 アルファ部隊、大統領警護隊は大統領の直属部隊へ、国境に配備された部隊は大統領の麾下に入るという具合にすでに着手済となっていました。

KGBの機構改革に取り掛かっていた中心人物は、元KGB中将であったカルーギン人民代議員でした。

彼はかつてKGB第一総局長として国外諜報任務の総責任者であり、取材の際には、「古い連邦の解体と新しい同盟の構築、西側との新たな安全保障関係、そして北方領土返還を含む日本との関係改善。これら一連の改革のプロセスをKGBが妨害することはもうありません」と政治への介入工作は一切しないことを明言しました。

また、KGBの新たな活躍の場として「今後は政治や軍事分野から、経済に重点をシフトすることになります。例えばハイテク技術の情報収集に力を入れることになるでしょう」と、産業スパイに専念することと回答しました。

 

印象に残ったのは「クーデターに関与して失敗したので、失敗した分野からは完全に手を引き、代わりに自身の特長、強味である諜報という技能で時流に即した別の分野(産業スパイ)で生き残りを図る」ということを、徹底して行ったことでした。

この産業スパイとして生き残る方針は、早速92年8月に、日本からココム(対共産圏輸出統制委員会)の規制対象品目であった高性能半導体メモリーや、通信機器用の中継増幅器の入手を試みた事件が明るみになったことで明らかとなりました。

さらに厄介なことに、ソ連が崩壊したことによりアメリカやフランスなど各国の諜報機関がこぞって「産業スパイ合戦」を繰り広げることとなり、諜報機関の活動の潮流となりました。例としてアメリカのCIAとNSAが、日本の橋本龍太郎通産相とトヨタ、日産幹部との会話を盗聴していた話も知られています。