第一部 ロシア零年
第二章 母なる、されど病める大地 - 一九九一年九月〜十一月 -
◆「ソ連軍」-「共産党」=マフィア!?
(p.50−p.59)

ここでは、クーデター失敗後におけるソ連軍人の置かれた待遇について紹介されていました。

クーデター失敗後、ソ連軍は民主勢力の批判にさらされたため、徹底的な軍備削減政策がとられ、大量に軍から解雇された人たちが発生しました。
リャポフ大尉(46歳)は来年(1992年)に解雇されることが確定したのですが、財産は貯金は20年以上にわたってコツコツとためた5,500ルーブルと購入したフラット(住宅)だけでした。そして、その貯金もハイパーインフレで大きく価値が目減りする一方です。

まだ自分で住宅を購入し、居住できる機会のあった人は最もめぐまれている方でした。モスクワにある知人のフラットの一室を間借りしてなんとか夜露をしのげるのはまだましなレベルで、東欧諸国から撤退してきたソ連軍人とその家族合計80万人の大半は、国内の住居もなく、中央アジアの軍基地へ分散移動し、軍用格納庫やバラック、テントで数家族と一緒に過ごす羽目になってしまいました。しかも、給湯設備やトイレは共同、冷暖房は全くないという悲惨な状況でした。

さらに追い討ちをかけたのが、1年間で物価が10倍(1,000%のハイパーインフレ)になってしまったことです。当時は豚肉1kgが50ルーブルという価格でしたが、戦略爆撃機のエリートパイロットでさえ、給料はモスクワのトロリーバス運転手の半額の600ルーブルという安値であったため、普通では到底生活できない状況でした。

では、その当時の軍人をはじめとした国民は、どのようにして過ごしたのでしょうか?

農民の場合:自分で生産した作物を売り惜しみし、他の人たちと物物交換の契約を行えました。

工場労働者の場合:自社工場で生産されたもの(車、建設資材その他)〜農場間で物物交換の契約で、現物支給を行うことでしのげました。

高級官僚や警察の場合:許認可や取り締まりに関する賄賂でしのげました。

軍人の場合:各師団や軍団ごとで、独自に農作業などへの労働力の提供や、武器の横流しなどのビジネスをしてしのいでいました。

本来国を守る目的であったはずの軍隊が、師団ごとで独自ビジネスを開始したために完全に武装マフィア化してしまいその後の治安悪化を招いてしまいました。また、武器の横流しが横行したために、ナゴルノ・カラバフをはじめ地域紛争発生時に各勢力が重武装をして大規模な戦闘を繰り広げることとなってしまいました。

大災害などで経済状況がマヒした社会では、お金だけに頼っていては大きく価値が目減りして何も買えない状況となってしまいます。そうなると、お金以外の方法で物を手に入れる必要に迫られますがそれを行うには、いざ発生してからではすでに遅いので、そうなる前に普段から人間関係を築いておく必要があると痛感しました。

特に混乱期で最も重要なのは、住宅と食料であることが

また、自分に何ができるかを把握しておかないと、せっかく交換して物を入手するチャンスがやってきた時にみすみす逃す結果となってしまいます。

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