第一部 ロシア零年
第二章 母なる、されど病める大地 - 一九九一年九月〜十一月 -
(p.39−p.49)
保守派によるクーデターが失敗し、世界では「ソ連の消滅」「民主ロシアの誕生」と喧伝されていましたが、ソ連での市民生活は相変わらずの物不足、信号機や街灯の電球が足りずにあちこちで消えた状態が発生し、インフレ、各地で開かれる闇市が蔓延しておりかなり苦しい生活環境でした。
ソ連共産党の解体に伴いソビエト連邦軍も解体がはじまり、新たにロシア共和国軍が創建され、その将兵の募集がモスクワで行われていました。ロシア共和国軍の編成にあたった面接官はいずれも軍の脱共産党化を進める改革派将校「楯(シルト)」に属していた人たちでした。
ここではロシア共和国軍に志願した将兵たちの取材から、ソ連末期の軍隊の状況を紹介します。
元政治将校であったソロヴィヨフ中佐は共産党の言葉と行動が全く一致しなかったことに愛想を尽かしていました。例としてアフガニスタンの侵攻ではアフガン人が新しい社会を建設するために派遣しているんだという共産党の宣言に対し、実際のところは毎日激しい戦闘が繰り広げられたため一般兵士からは突き上げを受けていました。そして彼は軍事クーデターが発生したときに我先にと現場へ駆け寄り、武力行使を止めるべく白旗を振ったのでした。
また、軍を退役しエンジニアとして勤務しているコノボードフ氏は、中央アジアのトルクメン共和国に中隊長として転属した時に、モーター、ポンプ、レーダー装置を始め、車の備品類が現地の中隊下士官、一般兵士たちによって闇商人へ横流しする現場を目の当たりにしました。
当然不正行為ですので上官である連隊長に惨状を報告し、厳罰を求めるよう直訴したところ、逆に連隊長から「損失分の25,000ルーブル(※月収は200ルーブル)をコノボードフ氏が補填せよ。もし補填できなかった場合は軍法会議にかけて処罰する」と言われてしまい愕然としたそうです。
さらに連隊長の上官である師団長に直訴しても連隊長と同じことを言われてしまったため、モスクワの軍検事局に直訴してようやく調査することを約束してもらえました。
しかし、その結果は、自分の中隊のところだけ物資が元どおりに戻りましたが、それは別の中隊から分捕ってきたものであり、同様のことが行われていた他の中隊に対しての捜査は一切なされませんでした。その上、連隊長、師団長から強い恨みを買うことになり何度も薬殺や乗車している列車から突き落とされそうになるなど暗殺の危機に直面することになってしまいました。
一方、旧ソ連は徴兵制が施行されていましたが、義務兵役の若者が毎年3万人も戦死ではなく原因不明の変死を遂げていたのでした。息子の厳重に封をされた棺を開けたある母親は、息子の体は全身殴打で傷だらけ、目は潰され、ペニスは切り取られていた無残な姿に泣き崩れてしまいました。
当時、ソ連軍では上記のような「ジェドフシナ」と呼ばれる陰惨な私刑が横行していたようで、これらは軍幹部によって隠蔽されていました。ゴルバチョフやエリ ツィンは変死を遂げた息子の母親たちに対して真相究明を約束しましたが、具体的な動きが見られませんでした。そのため、ロシア最高会議の建物付近で母親た ちが100人近く集まり、真相究明を求めるハンガーストライキを行っていました。
いわゆるブラック企業の上司の言うことだけをハイハイと聞いて受諾していると原因不明の変死の憂き目に遭い、横流しなどの不正を告発しようとしたら逆につけ狙われ、何度も暗殺の危機に陥る羽目にあうのは今の日本にも共通しているところがあるように感じた次第です。
また、今までのやり方だけではダメだ!という考えを持ち、勇敢で体力、行動力のある人たちは、ロシア共和国軍のような新しい組織に加わろうと集まっています。なんとかしたいと考えているなら、とにかく行動するというのが混乱期には重要となりそうです。
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