第一部 ロシア零年
第一章 書記長のいない八月 - 一九九一年八月 -
◆街頭民主主義の勝利という神話
(p.29−p.38)

1991年8月のクーデターは、実は保守派から1年前の時点で国内の危機打開のために非常事態を導入するという、事実上のクーデターを起こすような声明が出されていたのですが、残念ながら防ぐことはできませんでした。

保守派の中には、体制内マフィア側で贈収賄などで大金をかせぐことができた勢力は、先に紹介した汚職取り締まりで多大な実績を挙げたグドリャン氏を真っ先に逮捕しました。
一方、一般軍人のように特に恩恵を被ることがなくハイパーインフレの影響をもろに受けてしまった勢力を支持層としていた保守派代議員グループ「ソユーズ」のスポークスマンを勤めていたアルクスニス大佐は、グドリャン氏によるマフィア摘発強化を大々的に行うことを支持した上で合法的な議会手続きによる非常事態を導入することを強く主張していました。

このように、同じ体制派でありながら、見解が真っ二つに割れたのは旧ソ連末期のペレストロイカによって生じた大きな貧富の格差であったことが伺えました。

保守派が企てたクーデターは失敗し、それに伴いゴルバチョフはソ連共産党書記長を辞任し、共産党を解散させるという流れになってしまいました。その結果、共産党員1500万人のうち大半が新しい事態に適応できず、地位も権力も失い、落魄する人たちが続出し、その様子は明治維新の時に現れた、新しい社会秩序に不満を抱いた不平士族と同じ立場になってしまったようです。

一方、クーデター失敗に追い込んだ民主派、およびクーデター阻止に立ち向かった民衆たちはその勇姿が一躍世界に報道され、時の人となりました。しかし、クーデター騒動があっても当時のソ連経済情勢は、GNPが前年比-20%、外貨獲得手段であった石油の産出量が急減、日々の物価高騰など国民生活の悪化が著しくなっていました。

そのため、いくら「民主主義が勝利した」といっても、目の前のパンと身の安全が保証されていなければ国民生活は苦しくなるばかりですので、「パンと身の安全を保証する」勢力にいとも簡単になびいてしまう可能性が高いのです。

混乱期で重要なのは「パン」と「身の安全」の確保がとても大事であると痛感した次第です。