第一部 ロシア零年
第一章 書記長のいない八月 - 一九九一年八月 -
(p.20−p.29)

1991年8月19日、突然ソ連でクーデターが発生してゴルバチョフが失脚しました。と同時にグドリャン人民代議員も逮捕されました。

グドリャン氏は、実は特捜検事のエースとして、80年代後半にソ連史上最大の汚職事件であったウズベク事件で捜査の陣頭指揮を取り、ウズベク共和国の高級官僚から警察長官、末端のコルホーズ議長に至るまで実に5,000人以上にもわたる関係者を逮捕したという功績のある人物でした。

彼はウズベクだけではなく全ソ連、そしてクレムリンへと捜査の範囲を広げようとしましたが強い政治的圧力がかかり捜査は中断、その後、人民代議員に立候補して圧倒的な支持を得て議員に当選したという経歴があります。

グドリャン氏がクーデターで逮捕される前に著者と面会した時、「この国には完全にマフィアに牛耳られている。その最大のボスはクレムリンにいる」「自由市場で恐喝をしているようなギャングどもは可愛いものです。本当に恐ろしい強大な力を持ったマフィアは、共産党の一党独裁体制が産み出した政治マフィアです。こんな巨大な犯罪組織は西側にはない。共産党の支配が終わらない限りこのマフィアの犯罪も決して裁くことはできません」と語っているほど、とにかく旧ソ連末期は「腐敗の塊」だったようです。

そしてクーデターが失敗して、グドリャン氏は無事に解放されますが、「クーデターを起こした非常事態委員会の8人はマフィアのほんの一部にしか過ぎず、政治マフィアはトカゲの尻尾切りにして組織の延命を図ろうとしている。マフィアがこの国に残る限り、こういうクーデターの危険性はある」という旨のことを著者に話していました。

さて、旧ソ連におけるマフィアは大きく2つに大別されます。

一つは、「体制外マフィア」とよばれ恐喝、強盗、売春、麻薬売買などを組織的に行うタイプのもので、いわゆる日本の暴力団に相当します。
ただし、旧ソ連末期の場合は、経済体制がニーズに合わないものばかり生産供給される「計画経済市場」と、ペレストロイカで一部解禁され、欲しいものが豊富に揃っているものの物価が10倍以上する「自由市場」の二本立てであり、「自由市場」の規模は当時のソ連国家財政歳出総額の二分の一を占める2,500億ルーブルと大変巨大でした。彼らは、この巨大な自由市場からみかじめ料を得て急激に成長していきました。

もう一つは「体制内マフィア」とよばれ、企業、学校、警察など「公的機関における人事権」とその地位を濫用した贈収賄によって富と権力を握るタイプのもので、日本でいうとさしずめ各種利権や利権団体からの献金がそれにあたるのではないかと思われます。
モラルが急速に低下したブレジネフ政権以降から急激に成長したようです。

また、体制外マフィアと体制内マフィアは密接に連携、情報交換を行っており、1991年1月に闇市対策と称して高額紙幣を突然無効化した時も、体制外マフィアは半年前に情報を入手して事前に高額紙幣を普通の人に貸し出すなど全くダメージを受けませんでした。

このような混乱期では、「自由市場」のような巨大なチャンスを生かせず、情報を特に得ておらず、何も対策を打っていないごく普通の真面目に働く人間が一番割りを食う結果になってしまいました。