第1章 ドイツがヨーロッパ大陸を牛耳る
§5 アメリカと「ドイツ帝国」の衝突
アメリカの白人デモクラシー
(p.63-65)
アメリカ人の平等に対する信念は、確かに、非常に相対的な信念でしかない。アメリカは経済的不平等の拡大においてトップの国だし、さらには黒人にたいする差別の国でもあり、この問題は先般のファーガソンの暴動(2014年8月に黒人少年を射殺した白人警官が不起訴になったことに端を発した暴動)が示したように解決からはほど遠い。
しかしアメリカはまた、現時点で非常に多様な出自の人々を糾合して一つの世界を作ろうとする試みにおいてリーダーの国でもある。この意味で、オバマの当選は非常に象徴的であると言える。第2期目に入ったこの大統領が失速していることは明らかだが。
ドイツ国民だけを考察すれば、その中での経済的不平等の拡大はまだリーズナブルな程度であって、アングロサクソン世界で見られる格差よりもはるかに程度が低い。しかしドイツシステムを、そのヨーロッパ的全体性の中で観察すれば、つまり東ヨーロッパの低賃金や南ヨーロッパにおける給与の抑制を加味して考察すれば、現在英米に見られるのよりも断然著しく不平等な支配のシステムがうまれつつあると認めることができる。平等性は残っているのだが、それは支配する側の国民の側、つまりドイツ人の間だけのことなのだ。
私はここで、ベルギーの人類学者ピエール・ヴァン・デン・ベルグの政治学概念を取り上げたい。Herrenvolk democracy、すなわち、「支配者たちのデモクラシー」だ。仰天しないでくれ給え、「支配者たち」という、歴史的に忌まわしいイメージの付着した言葉を発したからといって、地球が瓦解するわけではない。私は最近、ドイツの新聞「ディー・ツァイト」のインタビューを受けた時にも同じ用語を用いたよ。
当初、ピエール・ヴァン・デン・ベルグは、エスニック・デモクラシーのこの概念をアパルトヘイトの南アフリカに適用したのだった。アパルトヘイトの南アフリカには、自由主義的・民主主義的ルールに従って申し分なく機能する平等な市民の集合体があったのだけれども、その自由や民主主義は被支配者たちが存在するという条件でのみ成立していた。
人種差別時代のアメリカと同じだ。アメリカでは、白人グループ内部の平等が、アメリカ原住民および黒人にたいする支配によって保障されていた。同じように、イスラエルも「支配者たちのデモクラシー」としてカテゴライズできるだろう。イスラエルの民主主義に一体感と自由が存在するのは、敵とみなされるアラブ人たちの集団が存在していることによってであるから。
アメリカの社会の経済的不平等さは世界でも最も激しく、所得階層で上位10%の人々が国内の富の80%を独占するという例をみないものとなっています(出典)。それに比べると欧州諸国の場合は経済的不平等さの加減がまだ低いといえます。
また、自由、民主主義は「支配者や支配階層の中だけのものであり、被支配者がいるから成立する」という紹介は衝撃的でしたが、アメリカの黒人問題、アパルトヘイト下の南アフリカでの差別問題をはじめ世界各国ではあくまでも差別される側が明確に存在しております。日本においても被差別部落や在日朝鮮人問題などがありますので例外ではありません。