第3章 ウクライナと戦争の誘惑
国家が機能してこなかった「中間ヨーロッパ」
(p.96-97)

 われわれの西洋社会(ただし直系家族を主流とするゲルマン世界を除外する)を特徴づけるもの、それは、個人主義や自由の肯定・拡大に適した核家族構造と、個々人の様々な熱望を自らの周辺に結晶させる強い国家の組み合わせです。
 ところがウクライナは、タガログ族もそうだが、強い国家というものを経験したことがない。そしてこの特徴を中央ヨーロッパの隣国、ポーランドやルーマニアと共有している。
 ポーランドやルーマニアは伝統的に核家族構造を持っています。ポーランド人たちは強い国家を建設するチャンスに恵まれたのですが、彼らのうちの貴族たちの部族的な振る舞いのせいでそれを逃しました。彼らは自分たちの独立を「自由拒否権(リベルム・ヴェルト)」をめぐる仲間内の諍いのために犠牲にしてしまったのです。
 黒海からバルト海へと長く伸びているこの「中間ヨーロッパ」ではしたがって、少なくとも18世紀以来、国家が機能していない。
 しかも、不幸なことに、二つの強い国家、すなわち、プロシアとロシアとの間に挟まれていて、その分近代へのアクセスが遅れました。

 この分析から浮かび上がってくるのは、ウクライナは社会構造がロシアよりも西欧諸国に近いものの、「近代性」においてはロシアよりも劣るということですが、私はその分析が意外に思えました。
 ただ、西ヨーロッパの社会はイギリス、フランス、イタリア、スペインなどいずれも「強い国家」を経験した歴史を有していますが、ウクライナの歴史(Wikipedia)を紐解くと平原地帯ということもあってか、常に周辺諸国からの支配を受けており、統一した強国としての歴史が全くありませんでした。

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