第8章 ユーロが陥落する日
ユーロ全体主義
(p216-219)

 ユーロが陥落する日、指導層全体の正統性が地に落ち、そのことが公然と確認されるでしょう。1940年に比べれば、その代償は小さいですよ!なにしろ、軍事的費用なしなのですから。
 結局、私はみなさんに、フランスにとって喜ばしい物語を提示できるのですよ。ただちにではなく、ユーロの失墜から1年後に始まる物語です。一方、ドイツは事態にそう簡単には対応できないでしょう…。

 -ユーロ抜きのヨーロッパを信じるのですか?

 文化的な面では私はヨーロッパに強い関心があるし、情熱さえ催します。
 ところが、今日大陸全体に広がる怒りのタネである単一通貨は、初めからヨーロッパたるものの否定だったのです。だから私は初めから単一通貨に反対でした。
 ついに容認するに至ったのは、ユーロが救われ得るのはヨーロッパが保護主義を採用する場合だけだと確信したからです。ユーロを救う必要が欧州レベルの保護主義を促すだろうと考えたのです。
 自由貿易は諸国民間の穏やかな商取引であるかのように語られますが、実際にはすべての国のすべての国に対する経済戦争の布告なのです。自由貿易はあのジャングル状態、今ヨーロッパを破壊しつつある力関係を生み出します。そして、国々をそれぞれの経済状況によって格付けする階層秩序に行き着いてしまいます。
 ですから現段階で、私の選択はヨーロッパ保護主義によるユーロの救出ということになります。必要なことはしたがって、フランスがこの解決策を提示してドイツと交渉する勇気を持つことです。
 大陸全体で需要がふたたび伸びるような条件づくりをしなくてはいけません。ヨーロッパで諸国民が互いに飛びかかって殴りあうのを止めるためにね。そうすればヨーロッパは、かつて常にそうであったところのもの、すなわち、ふたたびひとつの切り札に立ち戻れるでしょう。今日では構造の分解につながる弱さと見られているもの、つまり人類学的多様性が、全体として保護された状況の中で改めてパワーを生み出すことになるでしょう。
 とはいえ、この金融・通貨・経済危機が進行するリズムと、緊縮財政によって予定されているとさえ言える不況を考えると、私の視野にはユーロからの予防離脱が入ってきます。
 この点、経済学者ジャック・サピールの見解が正しいと思います。そんなパースペクティブの中でなら、ドイツは全体の再編成も、ヨーロッパ保護主義も、受け入れざるをえなくなるでしょうから。
 しかし今日、経済問題の討議が我々の周辺に欠落しています。オルタナティブはない、この道しかない、と吹聴されています。ありうる解決策に対するこのような否定の態度は、我らが旧大陸のメンタルな化石化を露見させるものです。エキスパートたちが、老人コーラスさながらに声も枯れんばかりに歌っている。「そんなっことは不可能だ!」とね。
 この有様は本当に、生命、現実、歴史、物事をじわりと動かす人間の能力などの否定を押し付ける全体主義的言説さながらにおぞましい。われわれはかつて、ナチズムというかたちで人種への服従を経験しました。人民民主主義という形で自称社会主義の協議への服従を経験しました。
 今は、緊縮財政プランへの服従の時代になっています。そのプランは自動的に不況を到来してしまうのに。
 以上に述べたところが、かつて全体主義へと行き着いた精神病理にも匹敵する、現代の精神病理です。全体主義は、若さがまだリソースであり続けていた社会に依拠していました。高齢化の今日、われわれはそれの耄碌バージョンを生み出しているのです。ユーロ(の通貨的意味における)全体主義といえましょう!

 
 各国独自の経済政策が取れないという特性を持つ共通通貨ユーロは、高齢化した社会における耄碌バージョンの全体主義さながらにおぞましいという旨の見解が読み取れました。

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