第8章 ユーロが陥落する日
強大で不安定なドイツ
(p211-211)

 -ヨーロッパにおいてデモクラシーはどうなっているのでしょう?

 われわれが発見するのは次のようなペテンです。
 ヨーロッパ的諸価値が実現するとされてきたのは、すべての国家がそれぞれのパワーの大きさにかかわらず平等に扱われる中、それらの国家間の力関係を度外視するリベラルな民主主義の空間においてでした。それは無論、ひとつのフィクションでした。
 たしかに、ルクセンブルクに必ずしも発言の機会が与えられていないことは知られていました。しかし、たとえばベルギーは、現実に発言権・影響力を持っていました。 
 ところが、ヨーロッパは今日、今言ったような創設神話とは似ても似つかぬものになっています。平等ですって? 今あるのは、信じがたいほどの階層序列システムじゃないですか。
 一方には弱小国、そして他方には強国(絶対的強国はドイツ)。弱小国が追い詰められ、自らの民主主義的システムを奪われる一方で、社会を牛耳るべく現れてくる新しいタイプの人間はきまってブリュッセル(ヨーロッパ委員会の所在地)、フランクフルト、ベルリン-支配システムの三つの極-の出身で、彼らが登場するたびに、さくらの役目を引き受ける死者に成り下がったパリが拍手喝采するのです。

 -では、ドイツが、またもや敵だとでも?

 ナチズムが現れる前にドイツがヨーロッパにもたらしたもの、宗教改革と大衆の識字化が一番に挙げられるでしょうが、そのすべてを私は承知しています。
 あの国は直系家族、これは子供のうちの一人だけを相続者にする権威主義的な家族システムなのですが、直系家族を中心とするひとつの特殊な文化に基づいています。そこに、ドイツの産業上の効率性、ヨーロッパにおける支配的なポジション、同時にメンタルな硬直性が起因しています。
 ドイツは歴史上、支配的なポジションについたときに変調しました。特に第一次世界大戦前、ヴィルヘルム二世の統治下でビスマルク的理性から離れ、ヨーロッパでヘゲモニーを握った時がそうだった。今日の状況は、ナチス勃興の頃よりも、あのヴィルヘルム時代のほうに類似しています。
 あのような力への陶酔をコントロールするのは難しいことではありません。ただ、それには条件があって、フランスの政策決定者たちが正常に振る舞うことができないといけません。
 ドイツは高齢化しており、8000万人の人口の若返りがうまくいっていません。文化的にも十全ではありません。産業力もとどのつまりは中級レベルのものであって、輸出力がとてつもないとはいえ、技術の面で、たとえば日本のレベルには遠く及ばない。要するに、ドイツを理性へと導くのは難しくないのです。
 しかし、フランスの指導者層がノイローゼに罹っていて、ドイツの前で跪いてしまう。
 フランス共和国大統領が政治的小人症ゆえにアンゲラ・メルケルに対決できないでいます。こうなると、ベルリンの政府に分を弁えさせることができないわけで、ドイツを譫妄の中に置き去りにしてしまう。そしてこの譫妄に対応して、ヨーロッパ大陸全体に、ドイツに対する信じられないほどの反感が広がるということになるのです。

 ドイツは力を握り、支配的なポジションにつくと暴走することは第1章でも述べておりますが、今後のドイツの暴走パターンはヒトラー型の強力な独裁ではなく、ヴィルヘルム二世の時と類似するというのがトッド氏の読みのようです。
 ドイツを唯一押さえこめるのがフランスですが、フランスの支配階層は伝統的に人々が秩序だって従うこと憧れている上、現在最も不人気であったオランド大統領(パリ連続テロによって支持率は上向いていますが)がメルケル首相に対抗できるかといえば到底不可能に思えます。したがってドイツの暴走は止まらない、ということになります。

 トッド氏は技術力、産業力はドイツは日本よりも圧倒的に劣っているという分析は書評を始めたときは意外に感じましたが、VW社による不正検査通過ディーゼル自動車の顛末をみると、さもありなんと思わざるをえません。