第8章 ユーロが陥落する日
二つの領域の交差点としてのフランス
(p207-210)

 -国民戦線が待ち伏せしているのではないのですか?
 
 国民戦線の支持率はたしかに高く、さらに上昇するかもしれません。ですが、ここへきてようやく、元気を取り戻した左翼によって飲み込まれる可能性が出てきています。すべては社会党が展開する選挙キャンペーンによるでしょう。われわれは帰路を前にし、歴史的な躊躇のただ中にいるのです。
 したがって、希望はある。我々の前途に待っているものがとても苛酷で、とても悩ましいものであるとしてもね。かつては、われわれが期待できるものといえばせいぜい、そこそこ文明化された保守派の議員か、保守派と同じことを続けるだけの社会党議員かでした。
 われわれはもはや、そのような連続性の中にはいません。現在よりも本当に悪い状況に突っ込んで行くか、あるいは明確により良い状況に向かうかです!

 -これまでの流れからの断絶が起こると思いますか?
 
 どう転んでも断絶は起こります。もしニコラ・サルコジが再選されたら、彼がこれまでにおこなったことから見て、フランスはもはやフランスでなくなるでしょう。あのような大統領、経済的な破局の真っ只中でスケープゴートを執拗に追い回す大統領が二期目もやれば、フランスは立ち直れなくなる。世界における彼のイメージの悪さからいって、フランス人は法外な代償を支払うことになるでしょう。今度の選挙で投票先を間違えれば歴史からしっぺ返しをくらうでしょう。
 その代わり、フランスには、金融勢力を打ちのめすべく独創的なやり方で国家を用いることのできる平等の国として、改めて浮上する可能性もあります。1929年の大恐慌の後で起こったことを思い出しましょう。ドイツがヒトラーを、イギリスが無力な保守政治家たちを、そしてアメリカがルーズベルトを生み出したあの頃、フランスが選んだのは人民戦線でした…。

 -自己破壊に向かう資本主義と、何はともあれ自律的構築に向かうヨーロッパの間に、ひとつの緊張関係を見ますか?

 いや、私に見えるのは全然別のものです! パワーの場は分析するのが困難で、われわれが知覚するのはもっぱら先進諸国に共通のもの、すなわち、不平等の拡大および支配という現象です。
 アングロサクソンの世界では個人の自由が人びとの体に染み付いています。
 しかし大陸ヨーロッパには、政治的権威と官僚化の表れが存在します。
 ユーロ圏、あるいはむしろその弱い部分(すなわち、ドイツを除くユーロ圏のすべて!)では、われわれはある種の混成携帯に直面します。つまり、各国の責任者はベルリンの圧力の下で、政府財政の健全化のために任命されますが、それはゴールドマン・サックスのために働いた後でなのです。彼らは支配の二つの領域の交差するところにいます。
 ところが、フランスはまさにその交差海域をその場しのぎで航行しています。
 エリートたちはおおむね保守派で、ドイツと大陸ヨーロッパの権威主義的システムに強く誘惑されるカトリック的・ヴィシー派(第二次大戦中のフランスの対独協力政権)的伝統を受け継いでいますが、その一方で民衆は、フランスをアングロサクソン的自由の価値に近づける気質を持っています。そこから、歴史的・人類学的観点から見て興味深い緊張関係が生まれてきています。

 2015年のフランス地方選挙においてもパリ連続テロ問題を受け、国民戦線が第一次投票では躍進したものの、最終投票では中道や左派勢力の前にのびなやむ結果となりましたので、基本的に国民戦線のような立ち位置にある政党や政治団体は、フランスでは決して多数派たりえないということが推測されます。

 興味深いのは、「1929年の大恐慌の後で起こったことを思い出しましょう。ドイツがヒトラーを、イギリスが無力な保守政治家たちを、そしてアメリカがルーズベルトを生み出したあの頃、フランスが選んだのは人民戦線でした…。」という部分です。その当時、旧ソ連はスターリン、中国は国民党の蒋介石と共産党の毛沢東が合従連衡、そして日本は軍部クーデターと軍部の言いなりになる大政翼賛会をそれぞれ指導者としていました。

 2008年リーマンショックは、1929年のアメリカ大恐慌に匹敵する出来事でした。2015年時点の主要各国代表の顔ぶれや主な政策をみると、トッド氏の指摘にほぼあてはまる人物を各国国民は選んでいるように感じています。
 

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