第8章 ユーロが陥落する日
サルコジ的ポピュリズムはもはや支持されない
(p203-207)

 -サルコジが立ちはだかってくることは心配しないのですか?
 
 彼は5年前から権力の座にいます。あらゆることを言明しながら、何もしないでいるわけです! その姿が有権者には見えていますよ。金に絡め取られている大メディアが何と宣伝しようとね。
 われわれは今なお、ジャーナリズムおよびコミュニケーション界のエスタブリッシュメントが社会からかけ離れたところに集まって自己陶酔しているような、そんな段階にいます。政治という建前のもとでわれわれに聞こえてくるのは、専門家たちの内輪話の声ばかりです。
 とおからず世論調査の中に、現在有権者人口の50%を占める民衆の表が現れてきます。民衆は、右のほうでも左のほうでも何がうまくいっていないかを理解しています。彼らに「保護」をもたらすという大統領の言葉が手品の類であることをすでに知っているのです。彼らの目には、サルコジは、ぶらぶらと工場へやってきて、労働者たちを救うと宣言し、その実何もやらなかったやつなのです!
 この有権者層は-ここで私は、民衆を勝手に代弁してペラペラ喋るエスタブリッシュメントのような振る舞い方だけは避けたいと思います-サルコジに実力がないことを見にしみて感じ取ったのです。
 サルコジはフィヨン(サルコジが大統領だった期間の首相)を解任できませんでした。第五共和政の彼以外の大統領は、誰であれ、あんな立場に甘んじることを潔しとしなかったでしょう。サルコジはまた、自らの任期の終わり頃、ジュッペ(保守の大物の政治家で、シラク大統領時代の元首相)を外務大臣に任命せざるを得ませんでした。その結果、従来は「大統領の領分」とされてきた外政の全てが彼の手から奪われました。
 サルコジは常に強者として自らを提示してきました。しかし、彼は優柔不断です。それが彼の心理的現実なのですよ。
 彼はいつもヒエラルキーの中で位置取りをします。弱者に対しては強腰、強者に対しては弱腰。列強(アメリカ、中国、ドイツ)には服従し、郊外の若者やロマ族(かつてジプシーと呼ばれた民族)に対しては強権的になる! 私は確信しているのですが、人びとはそのことを知っています。
 その上、最近、イデオロギー的な断絶が起こりました。欧州レベルの保護主義を唱えたことで、ここ10年以上、私はある意味で世間から「放逐」されていました。多くの人が声高に述べたところによれば、欧州レベルの保護主義は極右の<国民戦線>を利するばかりだというのでした。
 しかし、大統領選挙に先立ち、社会党内の予備選挙がついに来たれり! アルノー・モントブール(フランス社会党左派の有力政治家。産業振興に熱心で、反グローバリズムを主張)は、私よりも先に事柄を理解し-というのも彼は、早くも1997年からいくつかの製品に関してヨーロッパで共通の課税を行おうと呼びかけていました。そのことに私が気がついたのは1999年だったのに-、その予備選挙の投票者集団であった中間層の人びとの間で成功を勝ち得ました。彼の言説が民衆そうにどう反響するかはまだわかっていません。
 したがって、ニコラ・サルコジにとっては、時すでに遅しです。経済生活上の保護というこのテーマはもはや保守派の思うままにはなりません。今や左翼のテーマになったのです。
 いや、たしかにまだ、十分にそうなったとは言えません。けれども、経済危機という事実がある以上、このテーマが左翼陣営内でますます大きな反響を得ていくことは間違いありません。
 社会党内で議論された「公正な貿易」というおずおずとした概念は、すでに超えられてしまいました。銀行と政府債務という問題に関して-むろんユーロのこともありますが-パニックを避けるために国家によるコントロールが必要となっていきます。ところで国家を梃子にするという、まさにそこにこそ、左翼固有の下意識が存在しているのです。

 
 サルコジ大統領のフランスは、10%を超える失業率、相次ぐ企業・工場閉鎖、若年層の暴動、労働争議・ストの頻発などかなり問題があったようです(参考:仏地方選・左翼連合「圧勝」の意味 クーリエインフォ)。さらに、本文中のフィヨン首相は、サルコジが大統領就任した後、首相に就任した人物で第一次〜第三次フィヨン内閣を組閣しました。しかし高失業率や暴動、ストが多発しました。さらに第三次フィヨン内閣では緊縮財政策を唱えたため相当民心が離反したのではないかと考えられます。

 こういう人物をサルコジ大統領が解任できなかったのは、ひとえにフィヨン氏がサルコジ氏の大統領選挙の選挙参謀を務め、その論功行賞で首相の座に着いたことと関係しているのではないかと思いました。

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