第6章 ドイツとは何か?
独自通貨をもたない国家の悲惨
(p168-170)

 今日われわれはヨーロッパで、国家が通貨を創る能力を失った事態に直面していますね。その一方で、銀行は相変わらず、銀行としての権限を保持しています。ただし、その権限が事実上、ヨーロッパ中央銀行の監督下に置かれていることは見逃せません。
 人類学者というのは、ヨーロッパ中央銀行の定款よりも、それがドイツに所在するということに関心を抱くのです。国際通貨基金(IMF)がアメリカ風なのは、ワシントンに存在するからです。ヨーロッパ中央銀行(ECB)がドイツ的なのも、その本店がフランクフルトにあるからです。たとえその総裁がラテン系の国の出身であってもね。
 こうして、フランスの銀行は全て国外からの監視の下に置かれています。このたびのユーロ危機の当初から私が目の当たりにして痛感したのは、フランス政府が-といいっても、実は首相のフィヨンよりも大統領のサルコジが、なのですが-どれほどあきらかに、あたかもフランスの諸銀行の利益代表として上位決定機関を訪れているかのように振る舞い、フランスの銀行の利益へのある種の庇護をドイツから引き出すことに腐心しているかということでした。
 私見では、来るべき新たなヨーロッパ条約の最も重要な様相は、もはや絶対に債務のデフォルトはないということにするあの条項です。金持ちたちを保護するための国際条約。「スバラシイ時代に生きてるぜ!」と、ジャン=マルク・ライゼ(フランスの諷刺画家、1941-1983)なら言ったことでしょう。

 -ヨーロッパの指導者たちはまたしてもマーストリヒト条約の時と同じ幻想に入り浸り、ヨーロッパのような大きな地域の全ての問題を、条約などの文書一本で解決できると思っているようですね。これは一体なぜなのでしょう?

 このプロセスの歴史的分析は単純ではありません。ここで話題にしている寡頭支配層は最近現れてきたのであって、フランスの上層階層に従来からあるドイツへの傾斜だけでは説明できません。フランス側からいうと、自主的隷属から純然たる隷属へ移行したのです。
 このような変化はしかし、政府にとって危険です。なにしろ、この政治方針を支える社会的基盤は非常に限定されていますからね。せいぜい全体の1%でしかない最富裕層だけが基盤です。マーストリヒト条約批准の際に「諾」(ウイ)の中核をなした20%ないし30%の階層ではもはやないのです。
 フランス社会党はいつも、民衆階層を見捨てているではないかと咎められていますね。ところが保守派はそんなところにとどまっていません。今や中間層からも離れようとしています。

 
 マーストリヒト条約は正式には欧州連合条約と呼ばれ、1992年に調印、1993年に発効が決まったもので、欧州共同体の柱、外交・安全保障の柱、司法・内務協力の柱の3点からなる超国家的な性質をもつものであり、各国の通貨を統合して共通通貨ユーロの創設を決定した条約です。
 ここで私が面白いと感じた着眼点は、共通通貨ユーロの発行権限をもつヨーロッパ中央銀行本店が「ドイツ」にあるため、必然的にシステムの構成や運用面などさまざまな部分で「ドイツ」的な要素を大きく受ける、と指摘しているところです。
 財政赤字のひどい国には、財政規律を守るよう求め、ギリシャ問題でみられたように緊縮財政計画を要求するなどしていますが、これは直系家族であるドイツの国情を大きく反映させたものであるように私は思えてなりません。

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