第6章 ドイツとは何か?
「ドイツ嫌い」をめぐる論争
(p149-150)

 -アルノー・モントプールやフランス社会党のその他数人の指導的政治家たちが、ヨーロッパの経済危機におけるドイツの責任者たちの行動を強く批判した言葉から、「ドイツ嫌い」についての論争が生まれました。あなたの判断では、この論争は無益ですか、それとも意味がありますか?
 
 有益ですよ。しかし、やるなら徹底してやらなくてはいけない。
 印象的だと思ったのは、保守派の指導者たちが何の後ろめたさも感じていない様子だったことです。彼らは、真の問題を提起した数少な政治家たちを逆に威圧できるつもりでいました。
 フランス文化の偉大さは普遍的人間という概念を提示し、堅持するところにあるのですが、その大きな弱点は、他でもないその普遍主義のゆえに、様々に異なる社会を異なるままに分析する能力に欠けるという点にあります。 
 「戦後」が続いている間は、ドイツの持つ差異ないし特異性への言及を控えるのは望ましい政治的態度でした。しかし、われわれの時代はもはや「戦後」ではありません。ヨーロッパでは、どの国も戦争を仕掛けはしません。その一方で新たな経済問題が、諸国民の文化や習俗の違いに大きく起因する経済問題が現れています。
 したがって、われわれはドイツに特徴的な行動を分析し、その人類学的機嫌を捉えなければなりません。ヨーロッパの孕む諸矛盾がどういう性質のもので、その深部はどうなっているのかを理解するためです。 
 

フランスには複数の家族形態が入り混じっておりますが、首都パリ盆地付近は、平等主義的核家族社会が主体となっております。そのため、国としてのフランスの思考様式は、平等主義的核家族に基づくものとして考えて差し支えなさそうです。
 フランスの致命的な弱点として、トッド氏は「様々に異なる社会を異なるままに分析する能力に欠ける」つまり、「自由と平等が絶対正義である」というバイアスがかかった物事の見方をしているということを指摘しています。
 
 別の見方をすると、日本人やドイツ人は直系家族型社会であるため、基本的に「上位者の権威が絶対で、違いなどあって当たり前」というバイアスがかかった判断をしがちである、と思えます。

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