第5章 オランドよ、さらば! -銀行に支配されるフランス国家
ネオリベラリズムの正体-銀行が国家をコントロールしている
(p136-138)

 それにしても、スポーツ相が原付を何台持っているかなんて、そんなことを市民が知ってどうするんだ?まったくどうでもいいことじゃないか。
 決定的なのはしょ銀行と歳入監査局、あるいは会計院との間の相互作用のあり方を示す組織図を手に入れることだろう。政治学の観点から見て、権力は国家の金融中枢と民間の金融中枢の間のそうしたつながりの中にあるのだからね、
 この問題を基点にして、1980年代以降のフランス流「ネオリベラリズム」の歴史を通覧することができるよ。金融権力はもともとは廉直で愛国的なド・ゴール主義の高級官僚らの手中にあったのだが、それが民間セクターに移行した。唯一保存されたのがシステムからの超集権的な性格だった。

 -ベルリンの壁が壊れた後の90年代ロシアで、寡頭政治家たちの登場とともに起こったことに少し似ていますね…。

 もちろんさ。ロシアでは国家が全てであって、ソ連崩壊後、同じ人間たちが民営化されたものの舵取りをした。フランスのシステムをトーテムのように体現していたのは、あの小さな世界のボスになったミシェル・ペブロだった。ここでもまたウィキペディアのページを引用するよ。次の通りだ。
 「ミシェル・ペブロは行政府を離れて1982年にフランス商業銀行に入社。彼は二つの銀行の民営化を手がけ、その社長を務めた。まず、1986年から1993年までフランス商業銀行の社長、その後、1993年に民営化されたパリ国立銀行の社長、そして2000年以降はパリ国立銀行がパリバを合併してできたBNPパリバの社長」
 国立行政学院(ENA)をトップクラスの順位で卒業する若者たち-彼らは最も優秀なのではなく、上の者に評価されるようにせっせと頑張る精神的・社会的能力が高いのだ-は歳入監査局や会計院に入り、その後、各省庁の大臣官房に、そしてもちろん、財務省に入っていく。重要閣僚も自分たちの官房長を選ぶ自由を持たず、むしろ官房長たちの監視の下で生きるのだよ。
 これらの青年たちにとって、将来は民間セクターにある。だから前もって支払うのさ!彼らは銀行の改革を葬り去る。そして彼らの庇護者たちに選ばれてそれらの銀行や民間の大企業に移る。
 このメカニズムを透明にすること、それこそがわれわれの必要としているものだ。今日、白日のもとに晒された真実-オランドの政治は、ほかでもないその大失敗によって、依然として革命的な影響を及ぼす-それは、銀行が国家の機関をコントロールしているということなのだ。 
 

 フランスは、実は80年代まで銀行が国営だったということを今回初めて私は知りました。これを読むと、ソ連、フランス、日本ではいずれも官僚たちに政治家がコントロールされているように思えて他なりません。
 
 

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