第4章 ユーロを打ち砕くことができる唯一の国、フランス
イラク戦争時のロシアとヨーロッパの接近
(p.107-108)

 ーウクライナに模範的デモクラシーが現れてきたと一時期信じたのち、ヨーロッパとアメリカの首相府や大統領官邸は、ロシア外交および東ヨーロッパ諸国の動きに不意を突かれたように思います。どういう点で、ウクライナ問題への西洋の関与は誤解に基づいていた可能性があるのでしょうか?
 
 改めて考えてみるときに私が驚くのは、この危機が、以前ヨーロッパに浮かび上がってきていたロジックと整合しないということです。
 21世紀初頭の頃は、いわゆる「ヨーロッパ」の諸国とロシアとの接近が印象的でした。世界で緊張の高まった時期に、この両者が共通の立場を確立したのでした。
 2003年のトロワ(フランス、シャンパーニ地方の都市)での会議は未だ記憶に新しいですね。あのおり、フランスのシラク大統領、ロシアのプーチン大統領、そしてドイツのシュレーダー首相の三者が一致して、イラクへのアメリカの介入に対して拒否を表明したのです。それを受けて大方の人々は、旧大陸が全体として平和の方へ推移していくのに、ジョージ・W・ブッシュのアメリカはブレジンスキーの路線に忠実で、ロシアに対する対決姿勢を維持し、かつてソ連の衛星国だった諸国を頼りにし、バルト三国とポーランドを反ロシア姿勢の特権的パートナーとしているという印象を抱いたのでした。

 2003年の時点では、ドイツとフランス、ロシアの3国が互いに友好的な関係を築いており、「横暴な覇権国アメリカ VS 穏健な全ヨーロッパ」という図式だったのが、今となっては遠い昔のように感じてしまうほど、10年間で状況が激変しました。
 ただ、最近になってシリア難民問題では水面下でドイツとロシアとが手を取り合っているように感じているのは私だけでしょうか?

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